愛する君に

#04

  通信室へと続く通路を曲がった処で、柚香はばったりと真田とでくわした。
こんな時間に真田が居住区にいることは珍しい。勿論、予定の行動である。やあ、と真田が右手を挙げた。
「こんな時間にごめんなさいね」
 申し訳なさそうな柚香に、いや構わんさ、と真田が答えた。
「澪の様子は?」「大丈夫よ。熱も下がってよく寝ているわ」と言葉を交わしながら通信室の扉を開けると、パネル前の椅子に腰掛け地球への回線を開いた。待つ間もなく、そこに姿を現したのは地球にいる古代守であった。
「よう、どうした真田。何かあったのか?」
 軍服に身を包んだ古代は、そこに柚香の姿を見つけ、少しばかり驚いた。柚香は普段顔を出さないのだ。
「お久しぶりね、古代さん。お仕事中にごめんなさい」
 幕之内とも真田とも関わりのある柚香である。古代とはさほど親しいわけではなかったが、それこそ地下都市の時代から互いに知らない仲ではない。いわんや、現在は娘を預けている相手である。

「ますます綺麗になったね、柚くん。そいつとはうまくやってるんだね?」
 古代はにっこりと笑ってみせた。誰をも虜にすると言われている笑顔だ。柚香が同じようににっこりとしてみせる。
「あら、相変わらずお上手ね、古代さん。貴方こそ、ますます素敵になったのね」
「そうかい。それは嬉しいことを言ってくれるね」
「どうしたしまして。本当のことですから」
 ふふ、と笑う柚香と古代の会話は、相変わらず狐と狸の化かし合いにしか見えん、と真田は思う。何しろ、知り合った頃からこんな調子なのである。もっとも幕之内に言わせると、あれが互いの「親愛の情」の現れなんだそうだが、俺にはよくわからんと真田は首を傾げるのだった。

「それで、俺に何の用事かな? 君の頼みとあれば、出来る限りのことはさせてもうよ」
 古代はにっこりと笑った。
「えぇ。お願いしたいことがあるのよ。少しの間、澪宛に荷物を送るのやめない?」
「「は?」」
 柚香の言葉に驚いたのは、古代だけではなかった。真田までが目を丸くした。
「あのね。この処、澪――サーシャちゃん、何度か熱を出しているの。だから、少しお休みしたらどうかと思って」
 笑みを浮かべたままの柚香の言葉に、ますます首を傾げるふたりであった。

 柚香は笑みを絶やさない。
「毎日、ステーキばかり食べていたら、白いご飯とおみそ汁が欲しくなるでしょう?」
 柚香のいわんとしていることはわからなくはない。だが。
「俺は、そんなにしょっちゅう贈り物ばかりしてるわけじゃないが」
 月に2度の贈り物を、「しょっちゅう」と捉えるべきか、否か? 真田はにやりとした。
 だが、それが澪の発熱とどう関係あるというのだ。娘を手許で育てられない親友は、その淋しさを埋めようとするかのように様々なものを送り届けてはきたが、それのどこに問題があるのかわからない。しかも、肝心の澪は、毎回大喜びしている。父親の愛を、そういう形で受け取っているからだろう。昨日だって、早速鯉のぼりをたてて喜んでいたじゃないか。

「あのは特別な子でしょう?」
 柚香の言葉に、古代のポーカーフェイスが崩れ、素の感情がそこに現れた。

 真田と古代が不愉快そうな顔になった。
 片や太陽系随一の天才と呼ばれ、片や『スペースイーグル』の異名を持つ男たちである。どこにいても特別な存在であった。それを支える努力を辛いとは感じなかったが、その責任の重さも十二分に知っている。
娘にそんなものを背負わせたくなかった。逃れられない出自を持つ娘だからこそ、せめて子ども時代くらいはのびのびと自由でいて欲しいと願っていた。

「キミに何がわかる」
 真田の発した短い言葉に、それまでモニタを見つめていた柚香が、ゆっくりと隣にいる男に顔を向けた。

「志郎。子ども時代に普通の想い出が欲しかった、と悲しむのは、誰?」
 じろり、と真田の目が動いた。
「澪がそう考えると思うの?」柚香は同じ調子で話し続ける。
「そんな想い出がなかったと、澪に思われたくないのは、“あなた”じゃないの?」
「俺は、“しなかった”と後悔するのはまっぴらだ」
 柚香は静かに息を吐き出した。
「そうね。大人同士ならそれでいい。愛し続けるのも、それを受け入れるのも拒絶するのも、その人次第」でもね――。
 言葉を切って、柚香はじっと真田を見つめる。
「子どもは、親の愛情を受け入れないという選択肢は持っていないのよ? それが、どんな結果になろうとね?」
 真田が、口許を引き締めた。
「俺たちの愛情は間違っていると言いたいのか?」
 柚香は小さく首を振った。
「違うわ。そうじゃない。あのね、ひたすらに注ぐだけが愛情じゃないのよ? 愛しているのは貴方たちだけだと思ってる?」
「それは、山崎さんだって、幕だって、もちろんキミだってあの子を――」
「そういうことを言っているんじゃないわ」
 ぴしり、と柚香が言った。
「あのね、志郎。澪も、貴方を愛しているのよ? 貴方、それをわかっている? あの子の愛情を、ちゃんと受け止めている――?」

 真田の目が、見開かれた。

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