月明かりの夜に

 この同僚はこう見えても、あの宇津木の腹心の部下なのだ。気付かれた以上、誤魔化し通せるものではないと、誰よりも柚香自身が知っている。
 ぱたりと、柚香がその身体をふたつに折った。
 カウンタに突っ伏すその態度が、何よりも雄弁な答えになることもまた承知の上で。
 村井は、柚香の頭をぐりぐりと撫でる。
「図星みたいだね」
 まいったなあ、と柚香は突っ伏したまま頭を抱えた。何でわかっちゃったかな、注意してたんだけどな、と思い返す。
「そうか。ヤマトだ」
「大正解」
 ヤマトの帰還直後、宇津木館長とこの村田と三人でヤマトまで挨拶に行ったことに思い至る。あの時晒した醜態は思い出したくなかったので、すっかり忘れていた。
「もしかして、みんな、気付いてる?」
 だとすれば、とんだ道化だと悲しくなった。
「いや。気が付いたのはボクと館長だけだと思うよ。相手がわからないから噂になってるんでしょ、キミは。
 でも、どこぞの令嬢と見合いしたって、局長の方ももっぱらの噂だよね」

 ことの成り行きに言葉を失った真田が、目を剥いた。
 ちょっと待て。
 思わず声を掛けそうになった。
 誰が見合いをしただと?
 帰宅する時間さえないというのに、馬鹿馬鹿しいにも程がある。

「ん、でも噂の真偽なんて、私、知らない。ここしばらく会ってないもの」
 柚香は相変わらずテーブルに突っ伏したままだ。
「でも、あの年齢であの地位なんだし。その上独身なんだから、縁談のひとつやふたつあってもおかしくはないわよ」
 柚香の指摘は間違ってはいない。

 あのヤマトの技師長を務めた。
 既に三十路を迎えた真田は、未だ年若い他のスタッフたちとは違う。しかも、現科学局局長という地位がある。その上、この世代の男性は極端に少ない。この戦いで最も失われた世代のひとつである。
 真田本人にその気さえあれば、選り取り見取りのはずであった。

「それで、キミはいいの?」
 村井は優しい笑みを浮かべる。
「いじわるね、村井クン」
 突っ伏している柚香の声はくぐもっていたが。
「でも、ね。――うん、いいの。それでもいいのよ」
「本当に?」
 重ねられた言葉に、柚香は顔だけを村井に向けた。
「だって、生きてるもの」
「柚香サン」
「そりゃあ、嬉しいわけじゃない。でも、生きて、笑っていてくれれば、それでいいわ。今、私がしてあげられることなんてほとんどないし。必要な人がそばにいればいいと思う」

「キミには必要じゃないの?」
 柚香はちらりと村井を見上げて笑った。
「私に必要かどうかじゃなくて、彼が必要としてるかどうか、なのよ。倒れたりしないで仕事ができて、大切に思える人がいて。幸せに笑っていてくれれば、それでいいの」

 琥珀色の液体の中で、からんと氷が音をたてた。ゆらり、と液体が揺れる。

「16歳でダンナを押し倒して、結婚を迫った方の言葉とは思えませんね」
 村井は持ち上げたグラスをその頬にあてて微笑んだ。
「いやあね、村井クンたら、そんな話よく知ってるわね。私、話したっけ?」
 柚香はうっすらと笑い、ゆっくりと身体を起こすとテーブルに肘を着き、指先を絡ませた手の上に顎をのせた。まるで遠い風景に想いを馳せるかのように。
 柚香の目に何が映っているのか、村井にはわからない。
「今は、このままでいいわ」
 柔らかにそう言った。
「局長だって憎からず思っていると思うけど?」
「うん。だからって、地球か私か選べなんて言えないでしょ?」
「そういう問題?」
 うふん、柚香が笑う。
「彼の為に、お蔵入りってわけですか」
 村井は小さな溜め息をひとつ吐き、静かにグラスを口に運んだ。

背景:「clef」様、「Dream Fantasy」
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