月明かりの夜に

 他人の幸せな恋バナを酒の肴にするのは吝かではない。だからといって、自分が酒の肴にされるのは真っ平である。柚香は白々しい笑顔を貼り付けた。
「まあ、ありがとう。でも、わかってるわよ。明葉ちゃんはもっと綺麗だって言いたいわけよね。愛妻家の村井クン?」
「柚香サン、そんな世迷い言で誤魔化せると思ってるわけ?」
 咄嗟に言葉に詰まり、目を逸らしてしまった柚香は降参したも同然である。

 思わぬ話の展開に、口に含んだ酒を真田は危うく吹き出しかけた。
 柚香の存在が、友人の域を超えそうな危うさをはらんでいることに自覚はあった。

 彼女を友人かと問われれば、YESと答えることは可能だ。
 そのことに嘘はない。
 あの地下都市で、彼女との関わりに支えられた事は一度や二度ではなかった。不思議とそういう相手だった。
 また、更に戦友である幕之内を通し、浅からぬ縁を持った人間として、彼女を大切に思っていることは間違いない。そして、同じように彼女からの信頼にも揺るぎない確信は持っていた。
 だが、問われているのがそんな意味でないことは明瞭だ。たかが噂といえど、一体、誰の名がでるのか気になった。
 出るに出られないとはいえ、これでは盗み聞きをしていると云われても仕方のない状況だと云うことにさえ思い至りもせず、真田は耳をそばだてた。

「見合いしたんだってね」
 村井の言葉に意表を突かれ、真田の思考は瞬間停止する。
(見合い?)
 初めて彼女が適齢期と云われる年齢であることに思い至る。
(結婚を、するのか?)
 要するに縁談が持ち上がっているということだ。
(まさか)
 笑って打ち消そうとうする思いは強かったが、ふと、ここしばらく会っていないことに気付き、呆然としてしまった。

「してませんけど」
 柚香の返事に心底安堵し、全身の力が抜けた。
 そんな真田の様子など、ふたりが知るわけもない。
「誰もキミがしたとは言ってないよ? 縁談は全部お断りの鉄壁・柚香サン?」
 村井がからかい口調になった。
「だって仕方がないでしょ。いい男(ひと)がいれば私だって考えるわよ」
 柚香は本音を言っているように聞こえるが、村井は仮面のような笑顔を貼り付けた。
「すると荒木隆介(あらき・りゅうすけ)はお眼鏡に叶わないと仰るわけだ」
 う、柚香が言葉に詰まった。

 荒木隆介。
 真田にも面識はある。
 地下都市時代から宇津木たちのグループを支えてきた企業の若きトップだ。男気のある優秀な頭脳と整った顔立ちを併せ持つ、大変に魅力的な人物だと認識している。彼が、当代一流の男たちのひとりに数えられるのは間違いない。
 真田は知らないことだったが、荒木と柚香は地下都市時代の一時期、宇津木の下でチームを組んで仕事をしたことがあった。
 柚香自身にその自覚はあまりないようだが、あの絶望の時代に、その明るさに救われた人間は少なくはない。荒木もそのひとりであり、それが恋慕へと変化したことに不思議はない。
 ヤマトが帰還し、地上の復興が始まった時期に荒木は想いを告げた。
 だが、その告白が実を結ばなかったことを村井は知っていた。

「それで?」
「しつこいわね。荒木クンとはたまたまその気にならなかっただけよ」
 柚香が口をとがらせると、村井は大袈裟に溜め息をついてみせた。
「往生際が悪いね、柚香サン」
「ホントしつこいわね。大体、村井クンには関係ないでしょ」
「関係ないかなぁ? 一応仲間なんだし、これでも心配してるんだけどなあ」
 そう言われると強くは出られず、柚香は口ごもった。
「当ててみせようか?」
「え?」
 柚香はギョッとした。
「キミは確かに明るいヒトだけど、ボクの知る限り、あんな表情(かお)を向ける相手はひとりだけだよね。毎月の出張が楽しみでしょ?」
 柚香が目を瞠る。
「局長、だよね?」
 息を呑み村井を見た。

背景:「clef」様、「Dream Fantasy」
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