ただいま、と言って久しぶりにやってきた恋人は、何やら大荷物を抱えている。そして、テーブルの上の荷物に目を留め。
「「それ、どうした――」」
ふたりの言葉が重なり、そして、同時に全てを理解した。
「こっちのは幕之内からさ。今週はどうしても戻れないからって、オレの処に送ってきたよ」
荷物を解いてみれば、幕之内謹製、花見弁当と団子のセット。これが真田の執務室へ届いたのだ。軍内の特別便で。時間を見つけて帰れ、ということなのだろう。まったく、アイツはこういうことには見境がなくなるよな、と内心妬けなくもない真田であった。
「幕さん――」
小さな呟きとともに、それは今度こそ零れ落ちた。大粒の涙が、柚香の頬をつたう。
「し、ろう――」
震える肩に手をかけられ、次の瞬間には恋人の腕の中にいた。恋人は何も言わず、ただ、優しく包み込んで。
「俺は最低の人間だ。いや、既に人としての資格さえないのかもしれない」
義娘を守れなかった自分を、“それ”を選択しなかった自分の行動を、軍人として間違っていたとは思っていない。だが、それでも真田は自分を許すことはできなかった。
重核子爆弾や占領軍の後始末をしていれば、どれほど悲惨なことが起きていたのか、否が応でも直面しなければならない。その度に、澪のとった行動がどれほど多くの人を救ったのかと改めて思ってはきたが。
だが、それと人としての、親代わりとしての情は別のものだ。生涯、真田は自分を許すことはできないだろう。
だから恋人が去っていっても仕方がない、と思っていた。自分の家族を失い、それでもまた、赤の他人の子を慣れない宇宙で育て。たった1年とはいえ、どれほど大切に育てていたのかは誰よりも知っていたから。だが、それを守ってやることができなかった。また、大切な家族を失わせてしまった。だから、もう駄目かもしれない、と。――或いは、誰も与えてくれない自分への罰として、それを望んでいたのかも知れなかった。
だが、柚香は去りはしなかった。静かに、ひとりで“それ”を受け止め、己れを許すことのできない恋人をも、受け止めて。土に触れ、生き物に触れ、人と触れ合い。
「私も最低の人間なの。あなたがいれば、それでいい。それで、生きていける」
そう言って。
腕の中で泣きじゃくる細い肢体を感じながら、真田はその耳元に囁いた。
「柚香。柚香。誰も、忘れてしまったりはしない。みんな、いつまででも憶えている。あの日々も。あの娘のことも」
――そして、俺の罪も。
柚香は、何度も何度も、頷き。そうして、やっと嗚咽が収まる頃に。
「愛して、いるわ――志郎」
そう囁いて。涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
「私って、幸せ者ね」
哀しそうに、それでも微笑む彼女を、愛しい、と心から思った。
「ずっと、傍にいてくれないか」
思わず、するりと零れた言葉に、真田は自分でも戸惑いつつ。それでも、もう一度確かめるように言葉を紡いだ。
「俺の傍にいて欲しい」と。
必ず帰ってくると、約束できない己れであるにも関わらず。それでも言わずにはいられなかった。
何かをして欲しいわけではなかった。何をしてやりたいとも思わなかった。ただ、傍に。微笑みも、涙も、ともに――。
腕の中にいる彼女は、恋人の突然の言葉に戸惑いながらも。ほんの少しの間、じっとその瞳を見つめた。まるで、心の奥までも見透そうとするかのように。
そして。
「私、約束は、きらいなの。でも、ねぇ、特別があってもいい――?」
「柚香」
「ずっと、傍にいさせて?」
「柚香」
泣き出しそうな気持ちを抱えながら、真田は抱きしめる腕に力を込めた。
果たされた約束は想い出となり、過ぎゆく時とともに記憶の中に埋もれてしまい。
けれど、果たされなかった約束は、何時までも消えることなくそこにあり続ける。
それは、永遠に昇華されることはなく、ひとつ、またひとつと降り積もってゆくだろう。
「あ。でもね」
腕の中の恋人が顔を上げた。
「あのね。ひとつ約束してちょうだい」
真面目な顔をして、真田を見つめた。
「何だ?」
「あのね。これから3日間はお団子を食べ続けても、文句言わないのよ?」
3秒後。プッとふたり一緒に吹き出した。
「わかった。約束する。3日間は団子でも文句は言わん」
「絶対よ!?」
ちゅっ、と軽く触れたくちびるはまだ冷たかったが、柚香はするりと腕を抜け出した。 黒髪の揺れる後ろ姿を、少しの切なさとともに真田は見やった。
果たされなかった約束を胸の奥に抱えながら、それでも、俺たちは生きてゆく。
―fin.
27.FEB 2009
27.FEB 2009