茶葉の香り

#5

「姉さん、来てくれたんですか!」
 扉を開けた途端、その姿に気付いた弟が嬉しそうに駆け寄ってきた。

 変わらず、いや、年を重ね益々美しくなる姉の姿に、康雄は目を細めた。
 デザインのシンプルな濃いワインレッドのワンピースが、薔子のスタイルの良さと肌の白さを一層引き立てている。そして、この、姿形ばかりでなく流れるように見事な所作に目を奪われない男がいようか、と思う。
 だが、その名の如く華やかな薔薇のような姉は、いつの間にか、それを隠す術を身に付けている。今日の主役は自分ではないことを十分に心得ているのだ。
「相変わらず、お美しい――」
 そういう弟に、薔子は、まあ、と呆れ顔を見せた。
「おっしゃる相手を間違えていらっしゃらないかしら?」
 いいんですよ、と康雄は笑った。沙羅も、梢も、そんなことは気にしませんから。
「沙羅! 梢! 姉さんが来たよ」
 庭の中央で、大勢の客に囲まれていた二人が笑顔を向けた。

 今日は、沙羅の結婚式だ。

 沙羅は学校を辞めた後、宙港で働き始めた。
 長男を亡くし、途方に暮れる母親と、ひとつ年下の妹を支えるために。彼は、長距離を駆る貨物艦のパイロットとなる。時代に求められていたとはいえ、働きながら免許を取るのは並大抵の苦労ではなかったはずだが、沙羅は、あの頃のままに穏やかな雰囲気を纏っていた。

「お姉さん、お忙しいのに来てくださったんですか」
 嬉しそうに沙羅が笑う。
「相変わらず綺麗ですね」
「まあ、あなたまで――」
 薔子がめっ、と幼子を叱りつけるような顔をすると、
「だって本当のことですもの。本当にお綺麗――」
 梢がうっとりと薔子を見つめた。
「まあ、梢さんたら――」
 困った薔子は、笑うしかなかった。

 沙羅のパートナーとなった梢は、元々康雄の友人であった。訓練学校の同期生なのである。女ながらに砲術を選択し、しかも、ヤマトへも同乗したほどに優秀な戦闘員だった。
 だが、イスカンダルから帰還した後、梢は軍を辞めた。ヤマトを降り、戦わないことを選択した数少ない人間のひとりである。梢は、この星の上で何かを生み出す仕事がしたいとしばらく迷い、そして、教師という仕事を選んだ。
 軍を辞めた後も、友人として付き合い続けた康雄を介して、ふたりは出逢い、恋に落ちた。

「梢さん、沙羅くんをよろしくね。わたくしの大切な弟を――」
 幸せそうな梢の手をとり、薔子が言った。
 ふと、沙羅は気付いた。薔子の胸に輝くネックレスの中央に収められた小さなエメラルドに。
「お姉さん――」
 沙羅の目が潤み、あわてて瞬きをする。
「私も、お姉さん、と呼ばせていただいてもいいですか?」
 梢の言葉に、今度は薔子の目が潤んだ。
「ありがとう――。いつまでも、お幸せにね」
 沙羅と梢の頬に祝福のキスを残し、薔子は別れを告げた。

「姉さん」
 扉をくぐった処で、弟の声に引き留められた。
「忙しいのに、来てくれてありがとう。ふたりとも喜んでいますよ」
 薔子は、静かに首を振った。

「身体を大切にしてくださいね」
 相変わらずの眼差しで姉を見つめる弟に、薔子は微笑み返す。
「それは、わたくしの言葉よ? 身体を大切にして、それから、早く可愛いお嫁さんをみせてちょうだい」
「なかなか、姉さん以上の女性が見つからないんですよ」
 弟は飄々として戯けてみせた。
「ま。最後まで、この子は――」

「たまには家にも帰っていらっしゃい。貴方の淹れたダージンリン・ティが飲みたいわ。今年も良いできになりそうよ」
 あの茶葉の香りは今も素敵よ。きっと、これからもね――。
 薔子の言葉に、弟はただ笑みを返した。

 康雄はイスカンダルからの帰還後も軍に残り、家に戻ることはなかった。
 大学で経営学を学び直した薔子は、南部重工に入り、今では次期総帥と目されている。血族というだけでは後継にはなり得ない中、この人事は、彼女の秀でた才能とその覚悟を物語っている。
 いくつもの戦いを経て、己れの力で軍の中に足場を築いた康雄と、南部重工歴代最高の女傑と噂される薔子は、互いに良きパートナーになり得るだろう。

「本当に、気を付けるのよ――」
 薔子は弟の頬にキスをすると、ごきげんよう、と踵を返した。
 その後ろ姿を見送った康雄もまた、踵を返す。

 もやいを解き、碇を抜き。
 港を出た艦は、帆に風をはらみ大海原へと漕ぎ出でたのだ。
 どんな嵐に遭おうとも、どれ程逆風が吹こうとも、艦は前に進み続ける。
 己れの意志が、そこにある限り――。

fin.
31 MAR 2010 ポトス拝
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