茶葉の香り
その日。
青い空にはこれでもかと紙吹雪が舞い、沿道は見送りの人で溢れかえっていた。
「頼んだぞ!」「無事に帰ってきてちょうだい!」「自分だけ逃げ出すつもりじゃなかろうな!」「がんばって!」「行ってらっしゃい!」
期待と不安が入り交じり、歓声と怒声が飛び交っていた。
宇宙戦艦ヤマトが最後の希望を乗せ、イスカンダルへと出発する。
康雄が家を出てから3年が過ぎた。
弟は死ぬこともなく、大きな怪我をすることもなく訓練学校を終えた。
そして、薔子も、康雄も選ばれた――箱舟、という艦に。
だが、ひとりの異星人によって、この惑星の未来は姿を変えようとしている。
群衆にもまれ、ボディガードたちとも離れてしまった薔子は、少しでも前へ出ようとひしめく人々をかき分けて進んだが、なかなか最前列へは出られずにいた。
人々の歓声がひときわ大きくなる。楽隊が通り過ぎ、乗組員たちが近づいてきたのだ。
「康雄さん!」
必死の思いで群衆の中からその名を呼ぶと、薔子に気付いた康雄が列から抜けて駆け寄ってきた。そして、伸ばした手を掴み最前列へと引っぱり出してくれた。
「こんな目に遭ったのは、はじめてだわ」
目を白黒させている姉に、康雄は「そうでしょうね」と、明るい笑顔を向けた。
「体は大丈夫なの?」
薔子が尋ねる。大丈夫じゃなかったらこの艦には乗れませんよ、と内心で苦笑しつつ姉を見た。美しい切れ長の瞳が、優しく弟の姿を見つめている。
栗色の艶やかな髪も、透き通るように白い肌も、真っ直ぐに伸びた背も、やはり誰よりも美しいと思う。家を出て何が一番残念だったかといえば、この姉と一緒にいられなくなったことだ。幼い頃から、いや、記憶にある限り誰よりも美しいと思っていたのは、この姉(ひと)である。
「康雄さん?」
黙り込んだ弟に向かって小首を傾げた姿は、まるで、薔薇の蕾のようだ。
「姉さんは、変わりませんね」
誰よりも美しい――。
肯定も否定もせず、薔子は微笑む。
まさに、花開く瞬間――。出発への何よりの手向けだと康雄は思う。
薔子はそんな弟の様子をじっと見つめていたが、ふと笑みを収めた。
「貴方は変わったわね――そう、とても逞しくなったわ」
姉の言葉に内心照れながらも、「おや、嬉しいことを言ってくれるんですね」と康雄は飄々とした笑顔を作って見せた。
薔子の胸に、母に抱かれた弟の姿が去来する。
大きな窓に白いレースのカーテンが揺れ、その向こうには青い空が広がっていた。生まれたばかりの赤ん坊が白い産着にくるまれていたのを、はっきりと覚えている。
「おねえちゃま、だいすき」
溢れんばかりの笑顔で、小さな両手を差し出しながら後を付いてくる姿が可愛くて、愛しくて、薔子もまた極上の笑顔を向けた。
康雄の胸にも、振り向く姉の姿が刻まれる。
入隊し、南部重工を外から眺める事で、多くのものを得た。
無事に帰還した後、果たして己れが何を選択するか、今の康雄にはまだわからない。ただ、きっとこの姉は変わらずにいてくれるだろう――そう、思った。
18年の歳月は、姉に向ける笑顔も、弟に向ける眼差しも変えることはできなかった。
ぐ、と握りしめた拳を、びし、と胸の前で止める。
「行ってきます! 姉上もお元気で!」
明るい笑顔を残した康雄は、仲間の許へと戻っていった。
ザッ、ザッと足音高く乗組員が行進してゆく。
胸に矢を抱えた若者たちは、何を見つめて行くのだろう。
戦場に自分の足で立つことを選んだ弟の姿に、「私であることから逃げることはできない」と言った男(ひと)の姿が重なった。
どうか、ご無事で――。
薔子は、ただ、祈った。
ヤマトは旅立ち、青い空の中へと消えていった。