The Blue Marble

#4

『これが最良の選択だと思う。地球上では、サーシアを守ることはできない。
 俺がこの娘のために今してやれるのは、一緒にいることではない』

 ばぶう、とまだ赤ん坊のサーシアが、守の頬に触れようと小さな手を伸ばした。
 愛しい女性の残した、たったひとりの娘。
 君を守るためなら、俺はどんなことでもしよう。
 そう決意した男は、最大の信頼を真田に寄せる。真田も、それにできうる限り応えようとし、異星で小さな赤ん坊を育てるために恋人に助力を求めた。そして、恋人は笑顔でそれを承諾した。

 サーシアは泣いた。
 母親の面影を見ていたのか、ユキの腕の中では嬉しそうに声をあげていたのに。赤ん坊は全身で拒否するように、柚香に抱かれながら、力の限りに泣き続けた。
「ごめんね。お母さんじゃなくて、ごめん」
 今にも泣き出しそうな顔で、けれど、それでも柚香は決して赤ん坊を離そうとはしなかった。泣く赤ん坊を抱き続け。
――どれ程の時間、そうしていただろう。サーシアは柚香の手からミルクを飲み、その腕の中で眠った。
「泣き疲れたのね――。ねぇ、お母さんにはなれなくても、家族になることはできるよね……?」
 哀しそうな瞳のまま、恋人を見上げ。
「あぁ、きっと家族になれる。この俺が保証する」
 力強く答える真田に、柚香は、バカね、と微笑んだ。
 涙が一筋頬を伝い、赤ん坊の柔らかい頬にぽとりと落ちた。あふう、とサーシアが欠伸をし、うっすらと目を開け、だがまた眠りに落ちていった。
 ふたりは額を寄せ、赤ん坊を覗き込み、笑みを交わした。

 そうして、始まったのだ。

 父・古代守は遠い地球にあって、最愛の娘を見守る。
 真田はヤマトを預かり、義父としてイカルスへ赴く。
 そして、そこに柚香が、幕之内が、山崎が加わり。三度の旅を共にした藤咲を初めとする技術部員たちが、加藤四郎ら訓練生たちが集った。
 この地球(ほし)を守るために。ひとつの小さな命を守るために。
 あの小さな星でささやかな暮らしを営んでいたのだ。

「澪」
 義父は、義娘を見つめる。
「澪。大好きなひとに順番を付けてはいけないんだよ」
 澪はもう首を振りはしなかった。小さく、こくりと頷く。
「それぞれの場所で、それぞれを大切に想えばいい。できるね?」
「柚ちゃんは、湊くんのことも、義父さまのことも愛しているのね」
 真田が頷く。
「幕さんのことも、大切に想ってる」
 幕之内が、フンと鼻を鳴らした。
「建くんのことも、翔くんのことも、忘れない。でも、澪が帰ってくるのも待っていてくれるのね」
 真田は義娘を優しく抱き留めた。

「義父さま、ごめんなさい」
 小柄な澪はすっぽりと義父の腕に包まれる――温かくて優しくて強い、その腕に。
 つん、と油の匂いがした。大好きな人たちの匂いが。
 榛色の大きな瞳で義父を見上げると、澪はスッと背伸びをし、いつものようにその頬にキスをする。最初は照れていた真田も、今では娘の柔らかい頬にキスを返す。

 所在無げに立っている加藤と澪の目が合う。
「――忘れていたわけじゃないのよ? しろお兄ちゃん」
「もう、別にいいよ」
 拗ねてみせる加藤を、皆の笑顔が包む。
「すまなかったな、澪」
 唐突に幕之内が言った。澪は微笑み、首を振った。一体何のことかと、首を傾げる加藤たちに幕之内が答えた。
「俺がこの間貸した本に挟んであったんだろう? あの写真は」
 あぁ、それでか。
「――湊は俺にとっちゃ家族だったんだよ。たとえ、血なんて一滴も繋がっていなくてもな」
 幕之内は遠い時間を見つめるように目を細め、そして静かに瞼を閉じた。

 ふと、澪が不安そうな表情になる。
「柚ちゃん、大丈夫かしら。お母さまやお父さまのように――」
「柚香は、きっと生きているさ」
 僅かな疑いさえも抱いていないと、真田が断言する。
「でも、高速艇からの連絡は」
「生命反応の無かった連絡艇から、古代たちはやってきたぞ?」
「それは叔父さまたちは軍人だから」
「大丈夫だよ」
 澪の言葉が終わらないうちに、真田が再び言葉を継ぐ。

 どんなことがあろうと、信じている。その遺体をこの目で見るまでは。
 きっと、生きている。
 両手を広げて待っていれば、柚香は必ず帰ってくる。
 ここに。この腕の中に。

 真田の眼前に、青い惑星が浮かび上がる。
 だから。
「俺はあの地球(ほし)を守る。守ってみせる」

  くすりと澪が笑う。
「義父さま、今の聞こえちゃったわ」
 澪の感応力などすっかり忘れていた真田が、空咳を繰り返す。その首筋がうっすらと紅く染まる。それを横目で見た幕之内がにやりと笑った。
「ここぞという時のアイツの悪運の強さは、俺が保証する。
 何より、アイツの魂はいつだって死よりも生により近い。湊はさぞかし待ちくたびれているだろうさ」
 ひょいと肩を竦めてみせるのだった。

「みんなで、柚ちゃんの処へ帰ろうね」
 澪の笑顔に皆で頷き、そう約束をした。

背景:「Cello Cafe」様、「Crystal Moon」
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