The Blue Marble
『これが最良の選択だと思う。地球上では、サーシアを守ることはできない。
俺がこの娘のために今してやれるのは、一緒にいることではない』
ばぶう、とまだ赤ん坊のサーシアが、守の頬に触れようと小さな手を伸ばした。
愛しい女性の残した、たったひとりの娘。
君を守るためなら、俺はどんなことでもしよう。
そう決意した男は、最大の信頼を真田に寄せる。真田も、それにできうる限り応えようとし、異星で小さな赤ん坊を育てるために恋人に助力を求めた。そして、恋人は笑顔でそれを承諾した。
サーシアは泣いた。
母親の面影を見ていたのか、ユキの腕の中では嬉しそうに声をあげていたのに。赤ん坊は全身で拒否するように、柚香に抱かれながら、力の限りに泣き続けた。
「ごめんね。お母さんじゃなくて、ごめん」
今にも泣き出しそうな顔で、けれど、それでも柚香は決して赤ん坊を離そうとはしなかった。泣く赤ん坊を抱き続け。
――どれ程の時間、そうしていただろう。サーシアは柚香の手からミルクを飲み、その腕の中で眠った。
「泣き疲れたのね――。ねぇ、お母さんにはなれなくても、家族になることはできるよね……?」
哀しそうな瞳のまま、恋人を見上げ。
「あぁ、きっと家族になれる。この俺が保証する」
力強く答える真田に、柚香は、バカね、と微笑んだ。
涙が一筋頬を伝い、赤ん坊の柔らかい頬にぽとりと落ちた。あふう、とサーシアが欠伸をし、うっすらと目を開け、だがまた眠りに落ちていった。
ふたりは額を寄せ、赤ん坊を覗き込み、笑みを交わした。
そうして、始まったのだ。
父・古代守は遠い地球にあって、最愛の娘を見守る。
真田はヤマトを預かり、義父としてイカルスへ赴く。
そして、そこに柚香が、幕之内が、山崎が加わり。三度の旅を共にした藤咲を初めとする技術部員たちが、加藤四郎ら訓練生たちが集った。
この地球(ほし)を守るために。ひとつの小さな命を守るために。
あの小さな星でささやかな暮らしを営んでいたのだ。
「澪」
義父は、義娘を見つめる。
「澪。大好きなひとに順番を付けてはいけないんだよ」
澪はもう首を振りはしなかった。小さく、こくりと頷く。
「それぞれの場所で、それぞれを大切に想えばいい。できるね?」
「柚ちゃんは、湊くんのことも、義父さまのことも愛しているのね」
真田が頷く。
「幕さんのことも、大切に想ってる」
幕之内が、フンと鼻を鳴らした。
「建くんのことも、翔くんのことも、忘れない。でも、澪が帰ってくるのも待っていてくれるのね」
真田は義娘を優しく抱き留めた。
「義父さま、ごめんなさい」
小柄な澪はすっぽりと義父の腕に包まれる――温かくて優しくて強い、その腕に。
つん、と油の匂いがした。大好きな人たちの匂いが。
榛色の大きな瞳で義父を見上げると、澪はスッと背伸びをし、いつものようにその頬にキスをする。最初は照れていた真田も、今では娘の柔らかい頬にキスを返す。
所在無げに立っている加藤と澪の目が合う。
「――忘れていたわけじゃないのよ? しろお兄ちゃん」
「もう、別にいいよ」
拗ねてみせる加藤を、皆の笑顔が包む。
「すまなかったな、澪」
唐突に幕之内が言った。澪は微笑み、首を振った。一体何のことかと、首を傾げる加藤たちに幕之内が答えた。
「俺がこの間貸した本に挟んであったんだろう? あの写真は」
あぁ、それでか。
「――湊は俺にとっちゃ家族だったんだよ。たとえ、血なんて一滴も繋がっていなくてもな」
幕之内は遠い時間を見つめるように目を細め、そして静かに瞼を閉じた。
ふと、澪が不安そうな表情になる。
「柚ちゃん、大丈夫かしら。お母さまやお父さまのように――」
「柚香は、きっと生きているさ」
僅かな疑いさえも抱いていないと、真田が断言する。
「でも、高速艇からの連絡は」
「生命反応の無かった連絡艇から、古代たちはやってきたぞ?」
「それは叔父さまたちは軍人だから」
「大丈夫だよ」
澪の言葉が終わらないうちに、真田が再び言葉を継ぐ。
どんなことがあろうと、信じている。その遺体をこの目で見るまでは。
きっと、生きている。
両手を広げて待っていれば、柚香は必ず帰ってくる。
ここに。この腕の中に。
真田の眼前に、青い惑星が浮かび上がる。
だから。
「俺はあの地球(ほし)を守る。守ってみせる」
くすりと澪が笑う。
「義父さま、今の聞こえちゃったわ」
澪の感応力などすっかり忘れていた真田が、空咳を繰り返す。その首筋がうっすらと紅く染まる。それを横目で見た幕之内がにやりと笑った。
「ここぞという時のアイツの悪運の強さは、俺が保証する。
何より、アイツの魂はいつだって死よりも生により近い。湊はさぞかし待ちくたびれているだろうさ」
ひょいと肩を竦めてみせるのだった。
「みんなで、柚ちゃんの処へ帰ろうね」
澪の笑顔に皆で頷き、そう約束をした。