The Blue Marble

#1

 夜の交代の時間を幾分か過ぎ、加藤四郎は食堂の入り口をくぐった。
 もう誰もいないだろうという予想を裏切り、その目は金の長い髪を捉えた。その後ろ姿は、少女の成長を見守ってきた加藤に、振り向かずともその表情までをも想起させるのに十分だった。
 加藤は兄にそっくりだと言われる鼻梁の通った顔を曇らせ、歩き出した。

 ヤマトは地球に打ち込まれた重核子爆弾の起爆装置を破壊するために、敵本星に向かって航行を続けている。
 だが、この発進は準備万端整えて、というわけにはいかなかった。暗黒星団帝国による奇襲、そして、それに続く地上占拠があまりにも速やかに行われてしまっていたので。その迅速さは、ヤマトが地球上になかったことを幸運とした。防衛軍は有効な対策を取れないままにそれを許してしまい、人々は翻弄された。ある者は捕らわれ、ある者は地下へ逃れ、ある者はパルチザンを組織した。
 だが、これまでの日々を、軍は何もせず手をこまねいたわけではない。再びのイスカンダルへの航海後、想定される未知なる敵の来襲に備えた絶対防衛線の構築、そして、宇宙戦艦ヤマトの改造に取り組んでいた。
 その中心には、防衛軍参謀を務める古代守と、その友人でありヤマト技師長である真田志郎を据えた。だが、ヤマトは軍の大勢から支持されていたわけではなかった。特に上層部において、それは顕著であり。よって、それは内外の敵に悟られぬよう、小惑星イカルスに於いて秘密裏に進められていたのだった。

 結果として、それが功を奏したといえるだろうか。
 理由の程はわからないものの、血眼になってヤマトを探す敵から艦を守ることはできた。
 だが一方で、この非常事態にヤマトまで辿り着くことのできた乗組員は決して多くはなかったのだ。いや、彼らでさえも、いくつかの幸運が重なった末のやっとの乗艦である。現に、その幸運から零れた者の中には、第一艦橋メンバーである森ユキさえも含まれていた。

 あらゆる意味で、この戦いはこれまでとは様相を異にしており、その違いを最も顕著な形で具現化しているのが、今、目の前にいる少女、真田澪(さなだみお)である。
 彼女のその能力の高さと任務に取り組む姿勢とは裏腹に、“森ユキ”の代わりとして第一艦橋に席を持つ彼女に対して、好意的に振る舞う者は少なかった。仲間を、恋人を、助けられなかったという無力感、罪悪感が、それを更に後押しした。
 それは、自分との戦いであったのだが、と同時に、“森ユキ”という存在はそれを失ってみて、初めてその大きさを証明することになったといえるだろう。

(澪ちゃん……)
 加藤は胸の裡で呟いた。
 彼の目には、その後ろ姿が痛々しいほどに細く感じられる。この娘は、生後まだ1年足らずだ。
 彼女を「姪だ」と乗組員たちに紹介した真田の意図は、加藤にはよくわからなかった。

 真田澪――。
 この少女が、イスカンダルの女王スターシアと古代守との間に生まれた娘・サーシアであることを知る者は少ない。義父である真田と、幕之内や山崎らイカルスに勤務していた数名だけ。加藤の仲間である訓練生たちでさえ、それを知らされている者はほとんどいなかった。
 “女神によって地球は救われてきた”ことを慮ったのだろうか。
 加藤は首を捻った。他人の力に縋るような人間がこのヤマトにいるとは思えない。だが、戦いが机上の物差しで測れないものであることは、ヒヨッ子と呼ばれる加藤でさえわかる。異常事態での発進だった戦いの中、真田はいつも以上に慎重を期しているのかもしれず、或いはまた、余人には窺い知れない事情をその胸に秘めているのかもしれなかった。

「真田くん」
 声をかけると、びくりと肩が微かに動いた。澪は顔を上げ、振り向いた。
「こんな時間にどうしたんだい? 失敗でもして、技師長に大目玉をくらったかな?」
 努めて明るく振る舞ってはみたが、澪は、相手が加藤だと知ると作りかけた笑顔を引っ込め、俯いて首を振った。
「それにしても、腹が減ったなぁ。定時の哨戒がちょいと遅れたお陰で、夕飯食いそびれてね。何かまだ残ってるかな」
 加藤は大袈裟に首を伸ばすと、調理室を覗き込んでみる。誰の姿も見つけることはできなかった。
 何処も人手不足なのだ。だから、この時間では自動調理の夜食が関の山だろう、と加藤も予測していた通り。
「キミも何か飲むだろう? 珈琲? それとも紅茶にするかい?」
 こちらもまた、予想通りの反応が返る。
 澪は再び首を振るのだった。

 古代守参謀が、長官の盾となって名誉の戦死を遂げられた――。
 艦内を駆け巡ったその報は、乗組員たちに大きな衝撃を与えた。艦長代理であり、守の弟でもある古代進は言わずもがな。1年前、イスカンダルからの帰路を共にした乗組員も、また。ましてや、同期である真田や幕之内の哀しみは計り知れない。
「あのバカ――」
 たった一言、たまたま傍にいた加藤にしか聞こえないほどの小さな声で呟かれた真田の言葉は、今も耳の奥に残る。
 だが、誰よりもそれを大きな衝撃として受け止めたのは、娘であるサーシア――澪であろう。しかも、その事実を、半地球人である自分にとってただひとりの血の繋がった親である、という事実をおよその者は知らない。古代守の死を哀しみ、古代進に親近の情を寄せる彼女の心情を、理解できる者は少なかった。
 “森ユキの代わり”という重責に見合う能力を求められ、それをこなしつつある澪だったが。
 せめて、皆に事実を告げてはどうかと、加藤は真田に詰め寄ったものの。
「死んだのは古代守だけではない。親が死のうが、兄弟が傷付こうが、ヤマトは軍艦であり、ここが戦場であることに変わりはない」
 真田の答えは厳しかった。
 自身、訓練学校生ではあったものの、ふたつの大きな戦いを軍の中で過ごしている。その戦いで兄を失っている身であるれば、そこに反論の余地はなかった。
 きゅっと唇を噛んだ加藤は、ふと、気が付く。真田もまた、大切な人の死を覚悟しているのだ、と。
 イカルスの爆発に紛れ、脱出していった者たちが乗った高速艇からは、やがて、生命反応が途切れた。カモフラージュなのか、或いは、事故が起きたのか。今、それを確かめる術はなかった。
 覚悟と祈り――。
 決定的な情報がないことの方が辛いこともあるのかもしれない。

 ふと、俯く澪が口を開いた。
「柚ちゃんは、義父さまの、なに?」
 唐突な質問に、加藤は驚く。間抜けな程の間のあとに。
「柚香さんは、真田教官の婚約者だろう?」
 ここがヤマトの中であることを、一瞬、忘れた。イカルス時代の呼び名が口をついて出た。

背景:「Cello Cafe」様、「Crystal Moon」
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