The Blue Marble

#3

「まったく。時と場合を選びたまえ。これじゃ、澪くんが可哀想だろう」
 その言葉に、真田が苦笑する。
「山崎さんは澪に甘すぎます」
「何を言うか。君らが厳しすぎるのさ」
 その言葉、機関部員に聞かせてやりたい、と密かに思ってしまった加藤だが、山崎の意見には賛成だ。いくらなんでもあれじゃ可哀想だ、と思う。
 その様子を見ていた幕之内が、やはり苦笑する。
「2対2か。どうやら引き分けだな」

「あのね、澪くん。柚香くんが一緒に来ない理由を、キミは聞いたね?」
 山崎の問いに、澪は小さく頷く。
「軍人じゃない柚ちゃんがいても、みんなに迷惑をかけるだけだからって。みんなの足を引っ張りたくないから、誰も失うことなく帰ってきて欲しいから。だから、自分は一緒に行かないって」
「そう。彼女はこの日が来ることを、ずっと考えていたからね」
 山崎の言葉に、加藤はハッとした。イカルスでのあれらの訓練は、そういう意味を含んでいたのか。

「これでも、女ひとりで生きてきたから。死んだ方がマシなんて目に遭いたくなければ、それなりに必要なことはあるものよ」
 そう言って、柚香が笑ったことがあった。
 彼女に護身術として、古武術を教えたのは幕之内とその養母・彩季子(さきこ)である。柚香には素質もあり、またその習得に熱心であったため、一般人としてはそこそこの腕を持っていた。
 だが、所詮は素人である。軍人のそれとは根底からの性質が違う。柚香が時に訓練生に混じり訓練を受けていたのは、その技能の習得のためではなかった。勿論、それは目的のひとつではあったが、主たる目的ではない。自分という素人が参加した場合に、各人の行動がどう変化するか――端的に言えば、その生還率/生存率がどれほどに変化するかをはかっていたのだった。
 そして、いくつかの訓練の後、柚香は選んだのだ。一緒には行かない、という結論を。

「それに、指揮官の義父さまにだけ家族がついて行ったら、義父さまの立場を悪くするから…」
 それは義父さまのため。私のためじゃない。  言葉にはしなかった澪の想いを山崎は優しく受け止めた。
「澪ちゃん。君は思い違いをしている」
 澪の肩に手を置き、じっと真っ直ぐに目を見つめながら、山崎は“澪ちゃん”と呼んだ。
 イカルスでのままに。

「おじさま……?」
 澪が顔を上げた。

「真田君や幕之内君は、だてに10年以上も軍にいるわけではないよ。素人がひとりそこに加わったからといって、事態を制御できないほどヤワではない。たとえそれが柚香君であろうと判断を違えることはないだろうね」
 山崎はこの艦を建造し始めた時から彼らを知っている。イスカンダルへの二度の旅も、生存者19名という過酷な戦いも、共に戦ってきた仲間である。
 それが必要ならば、彼らは己れを軍人として律するだろうことを、山崎は爪の先ほども疑ったことはない。個人の想いを優先させるには、彼らは多くの命を背負いすぎていた。
「その事を彼女は誰よりもよく知っている。だから、それが主要因ではないね」
 山崎の言葉に澪は少しばかり首を傾げた。義父でも幕之内でもないなら。
 そして、あ、と呟いた。
 この少女は決して愚かではない。
「わたし……?」
 自分の発した言葉に驚くように目を瞠った。
 刻々と表情を変化させる少女に、山崎は優しい笑みを投げかけた。
「君に無事で帰ってきて欲しいが為――。君の生存率を1%でもあげるために、彼女はそれを選んだ。恋人の、友人の傍にいることよりも、ね」

「澪。柚香は心からキミを愛し、大切に想っていたよ」
 少女が振り返った。真田は義娘に歩み寄り、その肩に両手を置いた。
「キミが転んだ時、擦りむいた膝小僧を手当してくれたのは、誰だった?」
『いたいのいたいの、とんでいけ〜』
 まだ幼かった頃に聞いた言葉が、記憶の片隅から呼び起こされる。
「キミにイスカンダルの物語を聴かせたのは、誰だった?」
 澪のくちびるが震えた。
「熱を出した時に傍にいたのは? 子守唄を歌ってくれたのは? キミの“声”に最初に気がついたのは、誰だった?」
 澪は、精神感応力とでもいったらいいのか、強い想いを受け取りそして発信する力を持っていた。イスカンダル人には珍しいことではないらしく、多くの者が持っている能力のようだった。だが、その能力には個人差があり、強さも発現する時期もまちまちであるらしい。
 澪は地球人年齢でいうと5〜6歳に当たる頃、その力に目覚めた。そして、それに最初に気付いたのは柚香だった。

「柚ちゃん…」
 澪が呟いた。

「湊は俺の幼なじみなんだよ」
 幕之内の言葉に、澪と加藤は驚いた。
 幕之内は語った。柚香と湊の出逢いと別れを。柚香が負った哀しみを。
「人は誰しも哀しみを裡に秘めて生きている。軍人であろうとなかろうと、戦場にいようといまいと、な」
 壁にもたれたまま、幕之内は目を閉じた。

「柚ちゃんは、今でも湊くんを愛しているの?」
 澪の問いに、真田は穏やかな笑みを浮かべ静かに頷いた。
「彼女が、彼らのことを忘れてしまう日が来ることはないだろう」
「義父さまはそれでいいの? 他の人を愛していても構わないの? 一番でなくてもいいの?」
 縋り付くように真田の服を掴んだ澪の手を静かにとり、自分の手で包んだ。
 澪は不安そうに見上げるが、義父はただ静かに微笑むばかりで。

 重なる不安が、澪を饒舌にさせた。
「柚ちゃんは、建くんと翔くんのお母さんなんでしょう? 今までも、これからもずっとそうなんでしょう?
 だから。だから、義父さまは義父さまなのに、柚ちゃんは母さまじゃないんでしょう?」
 澪は榛色の瞳を潤ませた。真田の指がそっとその涙を払う。
「柚香自身も、子どもの頃に母親を亡くしているんだ」
 え、と澪が驚く。両親と弟が地球にいることを澪は知っている。
「その数年後、彼女の父親は別の女性と結婚した」
「…柚ちゃんのお母さんのこと、忘れちゃったの…?」
 そうではない、と真田は首を振った。
「生きていくために、新しい選択をしただけだ。柚香もその女性(ひと)をとても好きになったが、どうしても“お母さん”と呼ぶことはできなかった。だから、キミが母と呼ぶのはスターシアのことだけだろう、とそう考えた」
「お母さま…?」
 再び澪は眉を顰め、そして、小さく首を振った。
「お母さまもお父さまも、澪を置いて逝ってしまわれたわ。私のことなんて…」
 澪の手を包む己れの手に、ぎゅっと力を込めた。
「澪。スターシアも古代も、キミの帰る場所を守ろうとしたんだ。彼らがとったのは最善の方法ではなかったかもしれない。だが、彼らはそれがキミを守ることを信じていた。だから――」
 真田の脳裏に、娘を手放すと決断した古代守の姿が、ありありと浮かんだ。

背景:「Cello Cafe」様、「Crystal Moon」
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