あなたの許へ

時を駆けるお題よりー武士の時代no.48「戦い終わりて」
宇宙戦艦ヤマトの二次小説です。
時代はイスカンダル後。技師長・真田志郎とオリキャラとの恋愛譚。
written by pothos
#1

 デスクの上にデータを広げていた真田志郎は、ふと手に取ったマグが空であることに気付き、キッチンへと足を向けた。途中、窓辺にある小さなアジアンタムの鉢植えに水を遣った。
 そろそろ日付が変わろうかという時間だが、部屋にはひとり。
 熱い珈琲を注いだ。

 イスカンダルから帰還して、もうじき1年が経とうとしている。
 課題はまだ山積みではあったが、地球環境は確実に回復していた。依然として真田の多忙さに変わりはないが、努めて帰宅するようにしている。局長が率先しての過労状態が、多少なりとも緩和されつつあったと言って良いであろう。

 少しばかり空腹を覚え、食器棚にある菓子箱を覗いた。
 数種類のチョコレートが見つけられたのは、家主の嗜好による。無造作にそれを掴んだものの、ふと手が止まった。隣りにある白いマグカップに目が行き、じっとそれを見つめていたのだ。
 その素焼きの感触を残した風合いのマグは、地下都市の小さな雑貨屋で真田が購入したものだ。これでカフェオレを飲んでいたひとの姿を思い出す。もう何年にもなるのに、縁ひとつ欠けてはいない。大切にしていてくれることを、知っていた。
 それがこうして食器棚に収まったままの状態で、既に10日が過ぎている。なぜなら、毎朝これでカフェオレを飲んでいた、この部屋の主である彼女がいないからだ。

 あの日以来、柚香の行方は知れない。何処へ行くとも、何時帰るとも告げずに、ひとりきり。
 職場へ休暇願を出してはいたが、館長である宇津木はその件に関しては黙して語らなかったため、詳細は分からない。もっとも、真田も尋ねはしなかったが。

 表情ひとつ変えないままに、そのマグに留めていた視線を戻した。チョコレートを持ち、リビングへと移動する。ばらばらとテーブルにそれらを置くと、ベランダに面した窓のカーテンを開けた。
 下弦の月が東の空から昇ってきていた。その姿の変化に時の経過を実感する。
 一緒に見上げたのは望月の頃だった――。 

 あの日。
 ふたりは互いの想いを確認した。もっとも、何年も前から知っていたことではあったが。未来が閉ざされた地下都市では、言葉にすることのできない、伝えることのでいない事情が存在していた。だが、144名の戦士たちによって、この星は再び鮮やかな息吹を取り戻した。
 ふたりの間を阻むのは多忙さだけのはずだった。

 互いの想いを言葉に載せて伝えたあの日。この胸に彼女をいだいた。互いの温もりの中で新しい朝を迎えるはずだった。
 だが、その豊かなふくらみに触れた時、彼女は一筋の涙を零した。
 それが自分を拒否するものでないことは、十分に承知していた。と同時に、未だ時至らずと思い知った。
 最愛の伴侶を突然に失った痛みは、10年の年月を経ても、新しい恋を得ても、尚、癒されてはいなかった。彼女自身、あの時に初めて気付いたのだろう。
 今は自分が待つ番だ、と悟った。
 時が満ちるその時まで。

 腕の中に彼女をくるんだまま、朝を迎えた。
 それでもいいと思っていた。時間が解決してくれるだろうと信じていた。
 だが――。

 情報を辿れば彼女の所在は確認し得たし、真田にならばそれを実行することは容易い。だが、それをして何になるというのだ。
 事故やトラブルの可能性を考えればいくらでも不安を見出すことはできたが、待つと決めた。
 ただ、彼女を信じ。
 彼女が帰って来るであろうこの部屋で。

 珈琲を飲みながら、先に風呂へ入るか、などと考えていた時のことである。
 衛星通信が光を放った。
 こんな時間に何事かと不審に思うが、プライベート回線であることはその信号の識別によってわかっている。もしやと思い、慌てて回線を開いた。
「お久しぶりです。こんな時間にすみません」
 モニタには懐かしい顔が写っていた。

 月基地にいる加藤三郎からだった。

背景:「Kigen」
inserted by FC2 system