あなたの許へ

#2

「柚香さん、俺が飛んだのわかった?」
 加藤三郎は、宙港の待合室の隅で宇宙(そら)を見上げる女(ひと)に声をかけた。
 椅子に腰掛けた柚香は、加藤を見上げてくすくすと笑った。

「無理よ、加藤くん。私には皆同じにしか見えないもの」
「宙航機の識別の仕方を昨日教えたじゃない」
「あのね。パイロットじゃないんだから、動いている機体の識別なんてできないわ」
 残念だな、俺の勇姿を見て欲しいのに、と肩を竦めてみせた。
「それじゃあ、格闘技場ならわかるかな」
 自分の顎に手を当て首を捻ってみせる加藤に、柚香は困ったように笑顔を向ける。
「――加藤くん。それは、もっと無理」

 格闘技場は決められたある時間帯だけに見学が許可されていた。とはいえ、指定されているのは広い競技場の中にある一番遠い観客席で、しかも、硬化テクタイトで仕切られている。
 サービスで作られた見学コースである。訓練計画が優先されるのは当然のことだ。ここは遊興施設ではないのだから。
「そうかな。でも、きっと彼の事なら――見つけられるよね」
「――加藤くん?」
 意味深に笑う加藤に、柚香は首を傾げた。
 その様にまた、加藤は目を細める。柚香の動きに連れて長い黒髪がさらりと揺れ、オレンジの香りが僅かに広がった。
 ただそれだけのことに、ああ女の人だなあと思う。長く軍の中にいると、そんな事も忘れてしまいそうになる。

「もう1週間だね。柚香さんがここに来てから」
「――そうだっけ? あ、ほら。艦が出たわ」
 あまりそこには触れたくないのか、宙港の上空へと視線を移す。鮮やかな緑色の光が浮かび上がっていた。この時間に出る艦となると貨物船だろうか、と加藤は運行予定を思い起こした。

 待合室のロビーに、人影はあまり多くない。
 ここ第2宙港は大きな民間の遊興施設からは離れているのだ。アミューズメントパークを中心とした遊興施設やそれに伴うホテルやショッピングモールなど、観光客の多くが集まるのは第1宙港である。
 こちらを利用するのは、物資の輸送を主目的とした貨物船の乗組員たちと、宙港の一部を共有する月面基地を訪れる軍人たちが主であった。

「こっちじゃ、綺麗な女性がひとりで何日も宇宙を見上げてるなんて、そうあるもんじゃないからね。俺はラッキーだな」
「加藤くんてお上手」
 柚香がくすりと笑った。
「あ、ほら。艦載機が行くわ。ひとつ、ふたつ――みっつ」
 光点を数えながら、その軌跡を目が追っていく。光はあっと言う間に暗い宇宙に吸い込まれ、見えなくなってしまう。
「――定時の哨戒だね」
 加藤の言葉に微かに頷くも、その黒い瞳は宇宙の星を数えているのか。柚香はいつまででもそうして宇宙を見つめていた。

 そんな姿が基地の中で小さな噂になった。
 淋しげなその姿を案じて声を掛けてみた加藤は、かなりお節介と言えるかも知れない。言葉を交わすふたりの姿は最初こそ冷やかしを受けたものの、1週間も続くとさして気にも留められなくなってきた。加藤のヤツ、またお節介焼いているぜ、と同じチームの連中が笑っているくらいだ。

「柚香さんて、聞き上手なんだよね」
 そお? と宇宙に向けていた視線を加藤へと移す。
「俺、この1週間で随分いろんなこと喋っちまった」
 苦笑するように笑った。
「頑固な親父や弟のこと、訓練学校の友人のことでしょ? 他にも月基地の連中のことや、それから、ヤマトのことも――」

 もちろん、機密には触れていない。
 だが、柚香が相づちを打ち、時には「どうして?」と尋ねられると、何故か随分と喋った。興味津々という姿ではなかったが、さり気なく、だが楽しそうに、そしてきちんと受け止めてくれる姿勢に引き込まれ、加藤はまるで問わず語りのように多くの事を話したのだった。

「俺は楽しかったけど、でも、そろそろ帰った方がいいんじゃないの。心配してるよ、きっと」
「――うん、そうかもね」
 加藤の言葉を否定はしないものの、賛同する様子もない。
「――まだ帰る気がないんだ?」
 柚香は困ったように小さな笑みを浮かべた。

 それを受け、ふむ、と大きな息を吐いて見せた加藤が腕を組んで考え込む素振りをする。
「となると、やっぱり迎えに来たのは正解だと思いますよ、真田さん」
 加藤の言葉に、え、と少しばかり目を大きくし、その視線を追って柚香は振り返った。
「志郎――」
 そこには軍服に身を包んだ真田の姿があった。

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