風のとまる処

#03

「おい、古代守はどこへ行ったんだ?」
 港は慌ただしい朝を迎えていた。幕之内の乗る駆逐艦も出航の準備にかかっており、どこの部署もてんてこ舞いだ。
 そんな中、先任が苛ついた声を撒き散らしながら部屋へ入ってきた。
「はっ! 古代は、ただいま北庁舎まで行っておりますっ!」
 幕之内が直立不動の姿勢で答える。
「何だ、まだ帰ってきとらんのか。戻ったら、至急俺の処へ来るよう言ってくれ」
「はっ! 申し伝えますっ!」
 先任の姿が食料倉庫の扉から出て行ったのを確認してから、幕之内はふううと息を吐いた。
(ったく。古代のヤツ、何時まで外をうろついている気だ。何かやっかい事に巻き込まれてるんじゃあるまいな)
 学生時代からトラブルメーカーの誉れ高い古代守である。その姿も、頭脳も、資質も、良くも悪くも目立つ男だった。

 呼び出してみるか、と腕につけたクロノメーターのスイッチに指をかけた途端、ピピッと呼び出し音が鳴る。
 案の定、古代守からの通信が入った。
「おう、幕之内か? お前、今どこにいるんだ?」
 いつも通りの明るい声に、腹が立つより先に脱力しかけた。
「何を呑気に言ってやがる。さっき、先任がお前を捜しに来たぞっ! とっとと、帰ってこいっ」
 気を取り直してそう怒鳴りつけてみたが、古代はそれさえもどこ吹く風といった呑気さだ。
「あぁわかってるさ。それで、お前はどこにいるって?」
 何なんだよ一体、とぶつぶつ文句を言いつつ、第三食料倉庫だと答えれば、丁度良かった、そこを動くなよ、すぐに行くから、との言葉だけを残し、古代は通信を切ってしまった。

「お、おいっ!?」
 呼び返すのも虚しいばかり。誰もいない倉庫の中で、幕之内は盛大に溜め息をつき、肩をおとした。
 毎度のことながら、アイツの呑気さには怒るこちらが馬鹿馬鹿しくなる。なんだかんだと言いつつ、要領の良い古代なのだ。勝手にしやがれ、と幕之内は作業を続けようとしたが。
 その古代が姿を現したのは、本当にすぐのことだった。

「よう、幕之内はいるか?」
 入ってきた古代に「お前な」と文句を言いかけて、幕之内は絶句した。
「お客さんだぜ?」と親指を向けた古代の肩越しに、俯く柚香の姿を見つけたからだ。

「女の子は泣かすもんじゃないぜ」
 にやりと笑う古代に「うるさい」と返しつつ、だが、幕之内は呆然としている。砲弾がいくら飛んで来ようと顔色ひとつ変えない幕之内のこんな姿は、滅多に見られるものではない。
 だが、出航時間は個人の事情など鑑みてなどくれない。
 時間はあまりないから手早くな、と柚香の肩をポンと軽く叩いて、古代は扉の向こうに姿を消した。

 俯いた柚香がゆっくりと幕之内に近づき。黙ったまま、持っていた包みを差し出した。
「お前、よくここがわかったな」
 包みを受け取りながら言葉を紡ぐと。
「彩季子さんに聞いて――。ゲートの処で彼に会って訳を話したら…」
 幕之内は、ふっと小さく息を吐いた。
 ちょうど外から戻ってくるヤツがいて、しかも、それが“古代”だった。
 相変わらず運のいいヤツだな、と思う。他の連中だったら、まず十中八九追い返されていただろうに。それに、いくら古代が型破りだと言っても、出航前のこの慌ただしい時でなければ、民間人をこっそり連れてくるなんて芸当もできなかったろう。
 まぁ、この様子じゃ古代じゃなくても連れてきたかもしれんがな、と思わなくもなかったが。
 泣きはらした目は真っ赤で、にこりともせず、思い詰めた様子は痛々しかった。古代でなくても、事情など知らずとも切羽詰まったその様子は放っておけるものではなかったかもしれない。

――幕さんの、と呟いた柚香に顔を向ければ。
「幕さんの作るご飯は、美味しい、と思う。一番。いつだって、どんな時だって、生きる力をくれた。だから、私は、今、こうして、生きてるんだわ」
 ぽつり、ぽつりと紡がれる言葉に胸を打たれ、不覚にも涙が出そうになった。
 慌てて、渡された紙袋を開けてみれば。こぢんまりとした袋の中には、握り飯――だろうな? と思われる物体が入っており。

 俯いていた柚香が不意に顔を上げ、真っ直ぐに幕之内を見つめる。確かめるように、一言一言を噛み締めるように、言葉を発した。
「湊が、生きていたとしても。幕さんが、死んじゃったら、やっぱり、嫌なの。――だから。だから、お願い。死なないで。生きて返ってきて」
 一晩中泣いていたのだろうか。化粧もせずに、泣きはらした目をして。それでも、ひとりでこうしてやってきた柚香が、何とも頼もしく見え、思わずその頭をくしゃくしゃとなでた。
「死ぬために、行くわけじゃないさ」
 そう言うと、うん、と頷いて涙を零した。
 もう泣くな、と涙を払うと、また、うん、と頷いた柚香は笑おうとしたが。

 ピピッと、幕之内の腕にあるクロノメーターが鳴った。
『幕之内っ、まだ確認できんのかっ!?』
 唐突に、厨房からの怒声がとんだ。
「は、はいっ。ただ今確認が取れましたっ! 穀類の残量はデータ通りですっ!! 報告が遅れまして申し訳ありませんっ!!」
『さっさと戻ってこんかっ! 厨房の手が足りんぞっ!』
「はいっ。至急戻りますっ!!」
 通信はそれで切れた。

「幕さんを、待っている人がいるのね」
「これが、俺の仕事だからな」
 幕之内の言葉に、柚香はぐいっと涙を拭い、うん、と今度は本当に笑った。
 その笑顔の切なさが身に染みて、思わずその肩に手を伸ばそうとし。

 だが。
「――そろそろタイムリミットだぜ? お二人さん」
 扉の向こうからひょっこりと古代が顔を出した。途端に幕之内が嫌な顔をする。
「お前こそとっとと行ったらどうだ? 先任がお待ちかねだぞ」
 幕之内の言葉に古代はふふんと余裕の笑みを浮かべ、そして、その甘いマスクを柚香に向けると「女の子は笑った方が可愛いよ」と声を掛ける。
 一瞬目を瞠った柚香だったが、明るく笑った。
 そうそう、その方がずっといいよ。古代はウィンクをひとつ投げる。
 全く簡単に笑わせやがって、と苦々しい思いを噛み潰しながら、それでもその明るさにホッとした幕之内であった。

 民間人が出入りできる開放区まで柚香を送ったその別れ際。
「気を付けて帰れよ」と言う幕之内に、柚香はうんと頷き、じゃあ、と背を向けた。
「おい。今度帰って来たら、飯の炊き方からみっちり仕込んでやる。覚悟しとけよ」
 その背に向けて、そう言葉を投げれば。
 柚香は踏み出した足を止め、ゆっくりと振り返り、涙の跡の残る頬に笑みを浮かべ、うん、と頷いた。
「だから、また、な」
 そう言った幕之内を真っ直ぐに見つめ。そして、ちょっと小首を傾げ、言葉を返した。
「また、ね」
 柔らかな五月の風に吹かれたように柚香は微笑み、そして二度と振り返らずに駆け去って行った。

「お前にあんな可愛い娘がいるとはねぇ」
 腕を組んだ古代がにやりと笑うが。そんなんじゃねえよ、と幕之内は顔を顰めた。
「アイツは兄貴の嫁さんで、妹みたいなもんさ」
 おい行くぞ。早く行かないとお互いエライ目に遭うからな、と幕之内はそれ以上の会話を封じるように走り出した。古代もその後を追ったが。
「なあ。兄貴の嫁さんってのは、普通、姉さん、って言うんだと思うぞ?」
 という素朴な疑問に、いいんだよ、あれが姉貴でたまるか、と言ってはみたが。思わずくすりと笑ってしまった幕之内である。
 あれにまともな料理を教えるのはえらい事だぜ。それに比べりゃ、敵さんの一隻や二隻、軽いもんだ、と。
 そしてもう一度去り際の笑顔を思い出した後、よし、と気合いを入れ直した後の幕之内の顔は、後の“鬼の料理長”の片鱗を見せていたのだった。

背景:「フリー素材*ヒバナ *  *」様、「季節の窓」様 、「Atelier Black/White」様
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