咲く場所
− 双翼 −

「滅びゆくのを待つだけならば、籠の鳥のままでいても良かったのです。誇りを守ることにも意義があると思えましたわ。
 ですが、自ら変えてゆける未来があるのならば――わたくしはこの手で切り開いてみたかったのです」
 薔子は婉然と微笑む。
 修辞麗句もなく、単刀直入に核心に触れる薔子を相変わらずだと真田は思う。そして、自分をじっと見つめる瞳の色が弟のそれと同じであることに、ふと気付いた。
「弟さんも、同じような目をします。やはり、ご姉弟ですな」
 戦友を思い浮かべる真田の言葉に、薔子はあでやかに笑みを返した。
「あの子は元気ですか? もう、家にはほとんど寄りつきませんのよ」

「10年前の貴方の言葉、今でも覚えていましてよ」
 薔子が目を細める。
「貴方が仰った『選択肢はない』ということも、今ならばわたくしにも理解できますわ。わたくしも同じ者ですから――」
 真田は黙ってグラスを傾けた。

「弟は、それを造ることよりも自分で戦うことを選びました。――造る者と使用する者。罪深さはよりどちらにあるのでしょう。
 平和を願い、愛する者を守るために造られたものであっても、兵器は兵器です。人の生命を奪うものでしかありません。
 わたくしたちは、奪い――そして、受け取ってしまったのです。
 決して許されることのない罪を背負いながら、それでも、わたくしたちは間違わずに歩まねばなりません。ただひとつの『正しい道』ではないとしても、間違うことは決して許されないのです。
 南部重工(わたくし)も、軍(あなた)も」

 真田は、薔子の言葉に是とも非とも応えず、ただ杯を重ねた。薔子もまたグラスを傾ける。

「ひとつ、伺いたいことがありますの」
 何でしょう、と真田が答える。
「貴方は何故 “普通の女性” を選ばれましたの?
 あの方では同じ荷を背負うことはできませんでしょう?」
 じっと見つめる薔子の瞳が揺れたような気がした。

 そういえば、新総帥に縁談が持ち上がっていると藤咲が言っていた。
 真田は小さく笑みを浮かべた。
「私の選んだ答えが、ただひとつの正解ではありませんが――」
 薔子はハッとした表情をし、そして笑った。
「そう、ですわね」
 そう言って、窓の外の灯りを見つめるその横顔は美しかった。
「この灯りの中に大切な方がいらっしゃると思うと、輝きが違って見えますわね――」
 にこりと微笑み、薔子は視線を戻した。

「彼女がそこにいたから――。そう言えば格好がつくのかもしれませんが…」
「違いますの?」
 薔子は首を傾げた。
「答えはもっと単純です。“他の男に取られたくなかった”。それだけです」
 平然とそう答える真田に薔子は目を瞠り、そしてくすりと笑った。
「――そう、ですわね。どうしても譲れないものはありますわ」
 薔子の中に小さな楽の音が流れたことを、真田は知らない。
 南部重工総帥の結婚の報とともに、才あるピアニストがひとり、ステージからその姿を消すことになるのは、もう少し先の話になる。

 薔子は、ゆっくりとグラスを空けた。
 その所作は10年前以上に美しく、籠から羽ばたいた後にも、彼女の中にはかつて育まれた結晶が未だ存在することを示していた。

「そろそろ失礼いたしますわ。また、お会いできますかしら」
 薔子の問いに、真田は首を振った。
「難しいでしょうな。談合だの、密会だのと騒がれるのがオチです」
 そうですわね、と薔子が含むように笑むと、真田も笑みを返した。
「ごきげんよう」
 かつてと同じ言葉を残し、薔子は踵を返した。

 真田は琥珀色のグラスを傾けながら、窓の外へ目をやった。
 ふと、甘い残り香に気付いたが、やがてそれはオレンジの香りへと変化してゆく。

 道を踏み外してはならない――。
 決して許されない罪と、このささやかな願いを手放さないために。
 どんなに険しく、果て無き道だとしても。

 真田が去った後にはオリーブの実がひとつ、夜のしじまに輝いていた。

fin.
04 JAN 2010 ポトス拝
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