咲く場所
− 双翼 −

#2

「もう10年以上が過ぎるのか」
 21時半近く。メトロポリスにあるビルの最上階の店で、地球防衛軍科学技術庁長官である真田志郎は、ひとりごちた。窓の外には幾千もの灯りが煌めいている。
 度重なる戦禍にも挫けず、地球人類はこの地上に楽園を築こうとしている。
 戦いの数が増す毎に己れの責務も増し、受け取ったものも増えたが、人に与えるものがあることも知った。そして、この灯りを愛しいと思うことも覚えた。

 俺は、手放さずに生きているだろうか。
 グラスを傾けると、琥珀色のバーボンがゆらりと揺れた。

 入口に現れた女に、それとわかるように目線を投げかける。女もそれに気付いて、こちらへやってきた。
 惜しげもなく身体のラインを露わにした黒のワンピースを、品良く着こなしている。黙っていても人目を惹きつける華やかさは相変わらずだが、それを隠す術も身に付けたようだ。
「遅くなってごめんなさい――」

 南部重工総帥・南部薔子は、その名の通り薔薇のように笑った。

 2199年秋。ひとりの異星人によって、箱舟は希望の艦へと姿を変えた。
 そして、新たな決意を胸に不眠不休で作業を続ける真田の許へ、直筆の美しい手紙が一通届けられた。

  戦場に籠の鳥の出番はございません。
  わたくしが受け継いだものを次へ手渡すための支度を整えながら
  この星でお帰りをお待ちしております。

薔子

 だが、地球へ帰還した後も、ふたりが相見えることはなかった。

 そして10年の時が過ぎる。
 真田は地球防衛軍所属・宇宙戦艦ヤマト技師長として幾度もの戦を戦い抜き、現在は地球防衛軍科学技術庁長官を務めている。史上、最も若い長官であった。
 薔子の弟である南部康雄とは、最初のイスカンダルへの旅を共にした数少ない戦友となった。
 南部重工は、その後も軍需産業から撤退することはなく、今では地球防衛軍とは切っても切れない関係を持つ企業のひとつとなっている。

 その南部重工総帥の交代劇があったのは、半月ほど前のことだ。
 今日、新総帥が科学技術庁長官である真田へ挨拶にやってきた。
 まだ若い総帥は、その優秀な手腕をたっぷりと見せつけた後、軍との変わらぬ提携を約束して帰っていった。

「お疲れさまでした」
 部下が珈琲を運んできた。
「今度の総帥も優秀な方ですね。実りの多い会合でした」
 藤咲の笑みは、交代劇があったときに聞こえてきた様々な噂も全て消せるほどの印象の強さを持っていたことを物語っている。真田は珈琲を受け取り、そうだな、と答えた。
「だが、あれを見くびるなよ。隙を見せれば食われかねない」
 そういう真田に藤咲もまた頷く。

「そういえば、今夜お時間をいただけないか、という申し出がありましたよ」
 と言った藤咲だが、
「今夜なら時間がとれるな。了解の旨、伝えておいてくれ」
 と真田が答えたのには余程驚いたらしい。
 真田が個人的な求めに応じることは、まず、ない。「――は?」と答えたときの藤咲の顔を思い出して、真田はくくと笑った。

「何ですの?」
 マティーニを手にした薔子が首を傾げた。
 あぁ、いや、と真田も笑みを返した。
「相変わらずお美しいと思いましてね」
「まぁ、堅物で有名な長官がそんなことを仰るとは思いませんでしたわ」
 くすくすと目を細めるさまは、まさにあでやかな薔薇のようだ。
「私のような朴念仁にでも、美しいものは美しく見えるものですよ」
 真田のこんな軽口を聞いたら、藤咲は更に目を丸くするだろう。

 真田がグラスを手に取った。薔子もまた乾杯をする仕草をするが、ふと手を止め「何に?」と問うた。
「再会できたことに」
 躊躇わずに真田が答え、ふたつのグラスがカチリと音をたてた。

inserted by FC2 system