咲く場所− 双翼 −
「必要な栄養が摂取できれば、生存することは可能だ。だが、それだけでは社会を営むことはできない。
貴女は長い歴史の中、連綿と受け継がれてきたものをお持ちだ。言うなれば、貴女の中にこの人類の歴史が凝縮され蓄積されている」
実際、薔子の立ち居振る舞いは見事だった。
真田への連絡、交渉の中からは、高い教養と知性がうかがわれたし、また、限られた情報の中において真田を見つけ出した手腕にも感心する。そして、無駄のない流れるような所作の美しさにも。
生まれ持った資質だけではなく、その環境にあったからこそ得られたものが更に薔子を輝かせる。一朝一夕では決して持ち得ることのできない、有象無象のそれらの存在。
薔子は、ひとつの文化が育んだ結晶体であると言えるだろう。
真田は相変わらず笑みひとつ浮かべることなく話し続ける。
「何においても正統なものがあってこそ、バリエーションが生まれます。
亜種だけになってしまえば、衰退の一途を辿るしかないという事実は、数多の歴史が証明している。
貴女が選ばれた理由、それは、貴女が貴女であることです」
薔子は視線をグラスに落とし、黒く光るオリーブの実を見つめた。
「貴方の仰ることはわかります。ですが、それらをわたくしがひとりで担えるものではありませんわ。所詮は籠の中の鳥にしかすぎないのです。
そもそも、この計画自体に無理が多すぎますわね。そのことは計画なさった貴方が誰よりもご存知のはずですわ。このような状態で計画を遂行して、本当に成功するとお考えだとは思えません。
それでも尚、それを実行なさろうとされるのは何故ですの? そこまでして生き延びようとなさる理由はどこにありますの?
貴方とて、大切なものを全て持ってゆけるわけではございませんでしょう? ここで大切なものたちと共に終焉を迎えることは考えられませんの?」
そこまでして「生き延びよう」とするのは何故なのか。
薔子が求めていたものはそれだったに違いなかった。
三度目の薔子の眼差しを、真田は受け止めかねて再びグラスに視線を落とした。
刻まれるように、時間が過ぎた。
ポツリと真田が言葉を発した。
「どこまでも生き延びようとすることも、流れに抗わず死を選ぶことも、どちらが正解だと言えるものではない。それは、個人の価値観に基づいて選択されるものだ。
だが、私には“諦める”ことは許されない…」
真田を食い入るように見つめた薔子が、何故、と小さく呟いた。その答えを求めて此処までやってきたのだ。
真田は、自嘲の笑みを微かに浮かべ、静かに顔を上げた。
「私は、もう既に人の命を喰らって生きている。
軍に奉職する身であり、兵器を開発し、戦艦を造り続けてきた。
貴女が貴女であるように、私は私であることから逃れることはできない」
真田の言葉を受けた薔子は切れ長の美しい目を伏せ、グラスを傾けるとオリーブの実をゆるりともてあそんだ。
「わたくしにはよくわかりません。貴方だけがその責を負わねばならないとは思えませんわ。戦わねばならないのですから、仕方のないことではございませんの?」
真田は静かに首を振る。
「何時の時代であろうと、如何なる理由があろうと、私がしていることに変わりはない。だが、それでも、私には仲間を守る力さえ、ない――」
テーブルの上で組まれた真田の手が、僅かに震えた。
薔子はしばしの間それを見つめ、そして、くいとグラスに残る液体を飲み干した。
白い喉がごくりと動いた。
「貴方が仰ることは今のわたくしには理解できません。ですが、誰しもそれぞれに果たすべき役割があるのだということは理解しました。
貴方がこれからも艦を造り続けるように、籠の中の鳥にも果たすべき役割がございましょう。微力ながら、わたくしも協力させていただきます。
その時が参りましたならば、また、お会いいたしましょう」
何事かを決意したらしい薔子は、その頬に美しい笑みを浮かべた。
そして、すくりと立ち上がり優雅に踵を返すと、「ごきげんよう」と言葉を残し、去っていった。
その美しい後ろ姿を見送った真田もまた、黙って店を後にした。
テーブルの上には、グラスの中、黒いオリーブの実ばかりが残された。