約   束

#2

「今は、芽吹きの前の季節だな」
 真田の目前には里山の風景が広がっていた。知る者はほとんどないが、そこは彼が幼少時を過ごした場所であった。

 雑木林には、枯れ草色の地面が広がっていた。手入れをされ陽(ひ)の光で温められた林床にはタチツボスミレやシュンランが花を咲かせ、また、別な場所ではカタクリが地面を紅く染めている。

「この空色の小さな花はフデリンドウだ。朱赤色のあざやかな花がクサボケ。ひときわ目立つこの黄色い花はミツバツチグリだな。
 田の周辺のあぜで瑠璃色の花をつけているのがオオイヌノフグリ。キランソウは、別名ジゴクノカマノフタと呼ばれる。ホトケノザ、タネツケバナくらいは見たことがあるだろう。
 ああ、小川ではそろそろ生物が活動を始める時期だな」

 真田の目線を追い、皆が林を振り返る。そこでは、浮き立つようにコブシが白い花を咲かせていた。
「この花が終わる頃にヤマザクラが淡桃色の花をつけると――」
「当に春だな」
 幕之内が目を細め、嬉しそうに相づちを打つ。
「気持ちいいわねぇ」
 柚香が両手を上に伸ばし、気持ちよさそうに伸びをした。
「草の匂いがするな」
 山崎がふと笑う。
「まぁ、それくらいのバージョンアップはあってもいいかと思いましてね」
「義父(とう)さま、とても素敵だわ!」
 義娘(むすめ)の喜ぶ様に真田の顔がほころんだ。

 ここは、ヤマト艦内のイメージルームである。
 イカルスでひっそりと育てられたサーシャ=真田澪の急成長も、そろそろ落ち着き始めていた。ちょうど、16歳という、今まさに蕾が開いてゆくかのような年頃である。
 その澪が「お花見ってそんなに楽しいものなの?」と首を傾げたのがそもそもの始まりだった。
 今は桜の季節ではなかったし、たとえその時期といえどここイカルスに桜はない。ならばと、義娘のために多忙の身を削って真田がプログラムしたのが、この映像である。となれば「どうせならみんなで…」と話が盛り上がるのは当然の成り行きというもので、結果、幕之内がその腕を存分に振るう仕儀と相なった。

 訓練学校の校長を務める山南、教官である山崎、幕之内、真田、そして、澪に柚香。それから訓練生と天文台の研究員たちが数名。床にシートを広げ、お重を並べて大宴会、とはさすがにいかなかったが、半日ほどは任務を離れる時間を作ることができた。

「ねぇ、この黄色いお花はタンポポでしょう?」
 つつと駆けていった澪が、道端にしゃがみ込んだ。
「あぁ、そうだね」
 訓練生の加藤四郎がその隣りに屈む。
 澪はこの2か月ほど特別生として加藤たちとともに訓練を受けてきたので、その打ち解けた様子に不自然さはなかった。ただ、加藤の場合、更に数か月遡った頃から彼女の秘密を知ってはいたが。

 澪は、嬉しそうに揺れる花を見つめる。
「これはナズナよね?」
 小さな白い花をつけた草を指差し、加藤を振り返った。
「え? えーとね…」
「そうだ。春の七草のひとつだぞ」
 口ごもる加藤の背後から幕之内が覗き込む。
「ええと。スズナ、スズシロ、ホトケノザ、ゴギョウ、ハコベラ、セリ、ナズナ。であってる?」
 指折り数えた澪がくるりと振り返ると、幕之内に確認を求めた。
 生後1年足らずの澪には実体験こそ少ないが、知識の方はわんさと蓄えている。

「ペンペングサとも言うのよ。ほら、よく見て。葉っぱが小さなハートの形をしているでしょう?」
「あっ本当ね。可愛い!」
 柚香が目を細めた。
「それをね、皮を少しだけ残して葉っぱを少しずつ引いていっってね、茎を持って回すと、シャラシャラ綺麗な音がするのよ」
「そうなの?」
 澪は興味津々で、更に辺りを見回した。
「こっちのはシロツメクサでしょう? 古い時代は荷物を運ぶ時に緩衝材としてこれを詰めたからツメクサと呼んだのよね。そういえば、これで花冠が作れるんですってね! あら、これは?」
 どうやら澪の知らない花があったらしい。

 彼女が指差したのは、桃色の花だった。真ん中に黄色い雄しべが集まり、そのまわりに細い糸のような花びらがたくさんついている。
「それは、ヒメジョオンだよ」
 今度こそは、とばかりに加藤が答えた。
「加藤くん、よく知っているのね」
「これくらいはね」
 澪が瞳をキラキラさせて見つめると、ちょっと照れたように加藤が笑った。
「残念だったな。これはハルシオンだよ、加藤」
 えっ? と加藤が驚いて、背後に立っていた真田を振り返った。
「ほら、よく見ろ。葉が茎を抱いているだろう? ヒメジョオンは、葉が茎を抱かないからな。まぁ、もっと簡単に、茎を折ってみて中空ならハルシオン、中実ならヒメジョオン、という見分け方もあるが」
「別名、ビンボウグサとも言う。蕾が頭(こうべ)を垂れるかどうかという見分け方もあるぞ」
 真田の説明に幕之内が追い打ちをかける。
 面目丸つぶれの加藤が唇を噛んだ。
「どうして、教官たちはそんなに詳しいんですか!?」
 加藤の問いに、真田と幕之内が顔を見合わせる。
「「これくらい、常識だろう?」」
 がっくりと肩を落とした加藤の姿が笑いを誘った。

 その時。
 一陣の風が駆け抜け、一瞬にして景色が変わった。

背景:「Crystal Moon」
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