月明かりの夜に


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 「じゃ、お先」
 村井の予想通り明日に備えることにしたらしい柚香は、早めに店を出た。それでも、飲ん だ酒は1杯や2杯ではない。柚香は酒に強かった。
 少し浮かれ目に、鼻歌を歌いながら一人夜道を歩いた。ずっと秘めていた想い を口に出したことで、少しばかり気持ちが軽くなっていたのだろう。当然、真田 が後ろから付いてきていることになど気が付くはずはなかった。
 
 真田は前を行く後ろ姿の向こうの空を見上げた。空には朧に月がかかり、それ でも星は煌めいていた。あの1年で見慣れた宇宙空間の星々とは違い、大気を通 してみる星は格別の美しさだった。柚香も時折足を止めて、空を仰いだ。そこに 何を思い描いているのかは、真田にもわからない。
 真田に、後を付けているという意識はなかった。酔って、ご機嫌らしい柚香を 送っているつもりだ。夜道を一人で帰るというのはそれなりに物騒なものだが、 これもどうやらいつもの事らしく、柚香を強固に送っていくという男はいなかった。 確かにここからなら、彼女のマンションまではそう遠くない。十分、歩ける距離 である。だが、いくら柚香が護身術を身に付けているのを知っているとはいえ、 一人で帰す気にはならない真田であった。
 
 そんな真田には全く気付く様子もなく、柚香は楽しそうに歩いている。通り沿 いの店に灯りが灯っているが、人通りは少なかった。これなら何事もなく部屋に つくだろうと真田が考えた途端、柚香は細い路地を人気のない方に曲がったのだ った。
 どこへ行く気だ? 真田は訝しんだ。
 路地を入った先は高台で、公園になっている。こんな時間に人気のない公園を通るの は危ない。だが、柚香は意に介さないようで、ずんずんと公園に入っていく。
  真田は少し距離を縮める。
 茂った木の間を通り抜けると、ぱっと開けた場所に出た。柚香は端の石段に真 っ直ぐ向かった。


月ライン

 そうか、これが見たかったのか。 真田は納得した。
 たぶん、ここは彼女のお気に入りの場所なのだろう。高台にある公園の端は、 切り立った石壁になっており、目の前がゆったりと開けていた。
 眼下には家々の灯火も見える。そして、中空には丸い月。風と共に雲が流れ、 明るい月が顔を出したのだ。月の明かりに照らされて、柚香の後ろ姿が輝いたよ うに見え、真田は目をしばたたかせた。漆黒の髪の縁が 淡く光るようで、一瞬その姿に見とれた。
 柚香は少しの間月を見上げていたが、おもむろに前へ 進むと石段を乗り越え、ぴょん、と飛んだのだ。
 一瞬で、その姿が消えた。
 
月アイコン


 「柚香っ!」
 驚いた真田は叫び声を上げ、さっきまで柚香のいた場所へダダッと駆け寄り、 下を見下ろした。
「柚香っ!?」
 そこには、思わぬ呼び声に驚いて、塀を見上げる柚香がいた。その姿を確認す ると、真田も後に続くようにそれを飛び降りた。2,3mといったところか。二 階の窓から飛び降りたほどの高さで、これなら大怪我をするような高さではなか ったが。柚香の隣りに着地した真田は、思わず大声をあげていた。
 
 「一体、キミは何をやっているんだ! 怪我でもしたらどうするつもりだ!?」
 ぱちくり、と目を見開いた柚香は、未だ驚いたままで。
「これくらいなら飛べるし、気持ちがいいから、いつも…」
 その答えに額に手を当てた真田だったが。
「全く、猫みたいだな、キミは」
 ふっと笑って見せた。
 
 「あなたこそ。ここでなにやってるの?」
 きょとんとした顔で、尋ねた。
「店の前で声をかけたのに気付かなかったろう? この酔っぱらいは」
と気が付かれたときのために用意していた言い訳を口にしてみせた。
「え? 店って、ブルームーン? 私気が付かなかった?」
 柚香の問いかけに真田は頷く。もちろん、そんなのは嘘八百。身に覚えのな い柚香はしきりに首を捻るが。真田は、ほら、さっさと帰るぞと先に立って歩 き出した。
 石畳を過ぎ、歩道を歩く。ま、いいかと気を取り直してご機嫌な柚香を隣り に見ながら、真田は歩いた。何をしていたのとも、どこへ行くつもりだったの とも柚香は尋ねない。
 月明かりに照らされて、ふたり一緒に歩くその道のりが心地よく。ただそれ だけの時間が、ひたりと心を満たしてゆく。
   このまま、この道がずっと続けばいい。そう思うそばから、それじゃまるで 中学生のようだとも思いはするが。それでも、こうしてふたりで歩くのならば、 月までもゆけそうな気がして。また、そんな自分を笑ってみたくなった。

 だが。
 誰も柚香を送ると言わなかったのも頷けた。あっという間に柚香のマンションの 前に着いた。
「送ってくれてありがと。珈琲、飲んで行く?」
 柚香はいつものように、そう声をかけた。小首を傾げるその仕草が好きで、 真田は目を細めて微笑んだ。そして、そっとその頬に触れてみた。
 柚香は驚いて目を瞠る。かつて、こんな風に触れられたことはなかったから。
 
 「ごめん」
 真田が言った。
「何が?」
 不思議そうな表情で柚香が尋ねる。
「嘘を言った。店の前で声をかけたと言ったのは嘘だ。店の中にいた。
 ――キミたちが来る以前から」
 え、と思わず声が零れた。じゃあ、もしかして。
「済まない。話は全部聞いていた」
 一瞬息を止めた柚香は、次の瞬間にはホッと息を吐き出して、困ったよう に微笑んだ。
「そっか。聞かれちゃったのね」やっぱりやたらなことは口にするものじゃ ないわ、と言って。
「ごめんなさい」と謝った。
 そして、あのね、と口を開きかけたのを塞ぐように。真田は、柚香、と声をかけた。
 
 「柚香。俺はずっと後悔していたんだ。あの時言っておけば良かったのに、と」
「あの、とき?」不安が柚香を包んだ。
「イスカンダルから戻ってきて、キミとヤマトで再会した時だ」
 言いそびれてしまって。あの時、ちゃんと答えておけば良かったのに。
 真田の言葉に、柚香は不安そうな表情を浮かべた。
「――なに?」
 真田は柚香の頬から手を離した。
 
 キミは俺のために、もう一度言ってくれるだろうか。
 キミの口から聞きたい言葉がある。
 
 真田は、じっと柚香を見つめて。
「ただいま」
と、一言だけ言った。
 弾かれたように柚香の顔が歪んだ。みるみるうちに涙が盛り上がり、つ、と 零れ落ちた。
 そして、小首を傾げて微笑んだ柚香も、ただ一言。
「おかえりなさい」と。
 だが、その声は包まれた腕の中に埋もれて消えた。
 

 先のことはわからない。いつか別れが待っているかもしれない。
 それでも、今この時のこの想いを、俺はキミに伝えたい。


 その夜、やわらかな月明かりに照らされた影は、長くひとつに重なったままだった。


月イラスト

fin.
written by pothos
23.SEP.2009

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TVアニメ宇宙戦艦ヤマトの同人二次小説です。

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