月明かりの夜に


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 からん、とグラスの氷が音をたて真田は我に返った。テーブルに放り出された ままのグラスは、うっすらと露をつけていた。そろそろ帰るかと腕時計に視線を 落としたとき、ぎぃと扉を開ける音と共に客がやってきた。
 大柄な男女が一組。久しぶりだね、と店主が声をかけているのを見れば、常連 なのだろう。奥のカウンタにやってくる途中も、あちこちの客と声を掛けあっ ている。2人は真田のいるボックスの向こう側のカウンタに席をとったようだ。
 「忙しそうだね」とおしぼりを手渡した店主に、「ご無沙汰しちゃってごめん なさい」と答えた声を聞いて、帰ろうと腰を浮かしかけた真田は動きを止め、そ ちらに目をやった。
 ストレートの長い髪が揺れるすらりとしたその後ろ姿は見慣れたもので、男の 大きな背中にもまた見覚えがあった。男は宇津木の腹心の部下、村井しげる であり、一緒にいるのは瀬戸柚香だった。
 そのままに立ち上がって、やあと声をかけても良かったのだが、何となくそれ が躊躇われて、真田は浮かした腰をもう一度下ろした。
 
 店主と3人で交わしているたわいもない話が聞こえてくる。どうやら職場の仲 間が後から来るらしい。「いつものでいいの?」との言葉に2人が頷くのを確認 すると、店主はグラスを出し人数分のテーブル席を作りに移動していった。


 「お疲れさま」
 2人は同時にそう言って、グラスを傾けた。
「あぁ、美味しい」
 満足そうに柚香が言った。一仕事終えた後は格別だわね、と笑う。
 軍の資料整理の後は、本来の業務である自館の資料整理が待っていた。慌ただ しい地下都市への移転、細々とした運営、そして再度の地上への移動によって、 電子・紙媒体を問わず消失してしまった資料は少なくない。やっとの思いで、 それらの運営を軌道に載せた処であった。
 
 「これで、少しは休めるかしらね」
 柚香が嬉しそうに笑い、グラスを傾けた。その様子を横目でちらと見た村井が、 ふと言った。
「最近、何か良いことでもあった? 綺麗になったって、評判だ」
 柚香は村井に視線を向けると、眉間にしわを寄せた。
「誰が?」
 村井はゆったりと笑う。
「瀬戸」
 え? と柚香が今度は目を見開いた。
「何もそんなに驚かなくてもいいだろ? イイヒトができたんじゃないか、って もっぱらの噂だぜ?」
 村井はにやりと笑みを浮かべた。
 
 その言葉には驚いた柚香だが、ようやく事態を察すると、こほんと咳払いをひ とつして体勢の立て直しをはかった。
「あら、ありがとう。でも、もともと美しいと思うけど?」と、頬に手をあて にっこりと微笑んでみせたのだ。だが、村井はそれをもモノともせずに、
「誤魔化しても、無駄ね」
と撃墜したのだった。
 
 
 思っても見なかった展開にラティスのこちら側で、真田は焦った。まるで盗み 聞きのようになってしまい、出るに出られなくなった。だが、話の内容にじりと 焦るモノを覚える。
「見合いしたんだって?」
 村井の言葉に目を瞠ったのは、真田だった。思い切り耳をそばだててしまった。
 
 「してませんけど」
 それには余裕で答える柚香だったが。
「誰も、おまえがしたとは言ってないだろう? やってくる端から全部お断りの 鉄壁の柚香ちゃん?」
 村井のからかいに口を尖らせながら。
「だって、仕方がないでしょ。いい男がいれば、私だって考えるわよっ」とそっぽを 向いてみる。
 ほほう、と余裕の笑みを村井は浮かべた。
「すると荒木隆介あらきりゅうすけは、お目に叶わないと仰るわけだ」
 う、と柚香は言葉に詰まった。地下都市時代から宇津木たちのグループを支え てきた企業のトップである。まだ若いが、当代一流の男たちの一人に数えられる のは間違いない。ついでながら、魅力的なのは人間的にだけではなく、外見的に もそうだという人物である。
 地下都市時代からの付き合いではあったが、数か月前、柚香は交際を申し込ま れて断っている。柚香本人は、未来が開けた喜びのあまりの気の迷いだと一蹴し ているが、あの暗い時代を共に生き抜いてきた村井には、荒木の気持ちもわかる 気がするのだ。それほどに、この女性ひとの明るさが支えた ものがあったのだった。

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TVアニメ宇宙戦艦ヤマトの同人二次小説です。

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