継 承
中央病院で柚香の姿を見かけたのが、そもそもだった。
具合の悪そうな柚香が、幕之内と一緒に姿を消したのが産科だった。
真田と藤咲は、職務で訪問していたのだが。
「おめでたですかね?」
そう言った藤咲に、罪はない。
「俺に親になる資格は、ない」
そう思っていた。
義娘を見殺しにした。
あれは、不可抗力ではなく、仕方がないことでもなかった。己が、それを選択したのだ。
だが。
そうではなかった。
それだけではなかった。
子が誕生するということに、全く喜びを見いだせない己れが、ここにいた。
それに気付き、真田は愕然としたのだ。
「俺は、きっと、生まれてくる子を愛せない――」
絞り出すように、言ったが。
妻の顔を見ることはできなかった。
沈黙が時を支配した。
柚香が立ち上がり、窓辺へと移動する。
カーテンを開けると、街の明かりが見えた。
「時間が」
柚香は背を向けたままだった。
長い黒髪が流れる背を、真田は見やった。
「時間と温もりが解決してくれることもある、わ」
静かに柚香が振り返った。
「見て」
柚香は窓の外を指し示す。
街は放射状に広がっていた。郊外に向け伸びる街灯が、光の帯となっており。
その中心には広場があった。
そして、その中央には大きな樹が植えてあった。
「あの大騒ぎの中、あの樹を植え替えた人たちがいたのよ。あれを失くしちゃいけない。あの樹はこの街のシンボルだからって。あれがあれば、きっと皆が帰ってくるからって。
地下都市へ移動させ、そして、真っ先に地上へと植え替えたんですって。
帰る場所があれば、人は旅立つことができるのよ。
貴方は、これから旅立つ人たちが、帰ってこられる場所を守った。
人を繋ぐ場所を、ね」
真田は頭を振った。
「柚香。違う。そうじゃない」
柚香の云うことはわかる。
だが、だからと云って、それは相殺されるものではないのだ。
いや。決して相殺してはならないもの、だ。
真田は、頭を抱えた。顔を上げることができなかった。
「大切な想いも、優しい想い出も、忘れられない苦しみも。みんな抱えたままでも、また、誰かを愛することができると教えてくれたのは、志郎、貴方だったわ」
ハッとした。
「そしてね。温もりの大切さと、繋ぐことの大切さを教えてくれたのは、澪、よ」
いつの間にか、柚香の腕に包まれていた。
「私たちは、この星を捨てることはできないのよ、きっと。ここで、生きていくの。
だから、守り続けるのよ。これからも、ずっと、ね」
志郎。
ありがとう。
貴方はきっとこの星の明日を守る。
だから、私はここを守るわ。貴方が帰ってくる、この場所を。
「今すぐに答えを出す必要はないのよ」
柚香の言葉に、真田は沈黙で応えた。
「大体ね」
身体をそっと離すと、柚香は夫を見つめた。
「1年近く離れていて、どうして今の私が妊娠すると思うの?」
真田がハッとした。
「――考えなかった」
確かにその通りなのだが。
妻が身籠もったのならば、それは己の子だと、至極当然に考えていた。
「まあ、いいけどね」
柚香が、ゆるりと微笑んだ。
「貴方が帰還してから、まだ、一緒に朝を迎えてないわよ――?」
「――すまない」
言葉よりも先に、妻を抱え上げた。
ねえ? 科学局の玄関前の樹、欅(けやき)にしたんですって?
ん? ああ。
あの樹、落ち葉の掃除が大変よ?
それも楽しかろう?
ま、自分じゃやらないと思って。
――うん。常緑樹もいいがな。秋になって葉を落とす方が好きなんだよ。俺は、ね。
ん。わたしも…よ…