いつかふたりで

#2

 真田は仕事を終えると、急ぎ自室へ向かった。
「今夜は早く帰った方がいい」と山崎に諫められるまで、恋人の胸中には全く気が回らなかった己が情けない。日付が変わるまでもう一時間もない。柚香はまだ起きているだろうか、と胸を痛めた。
 居住区へ向かう道すがら、ふと、展望台に人影を見つけ、足を止めた。そこには宙(そら)を見つめる恋人の後ろ姿があった。

 真田は声を掛けようとして、だが躊躇った。
 ひとりになりたいのかもしれない。
 そう思ったからだ。だが、華奢なその背中が闇に吸い込まれてしまいそうな錯覚を抱き、立ち去ることができない。
 ふと、誰を想っているのだろうと考え、胸に痛みが走る。会ったこともない男の影が見えたような気がして、真田は頭を振った。
 俺は存外嫉妬深いのかもしれない。
 自分を嘲笑った気配に気付いたのか、柚香が振り返った。

「おかりなさい。お疲れ様」
 ふわりと笑う。
 その笑顔に真田は目を細めた。
 柚香はスターシアのような荘厳な美しさも、ユキのように誰もが振り返るような華やかさも持ち合わせてはいない。人混みの中に紛れてしまうような、そんな女だ。
 だが、そのほころぶような笑顔が向けられるのは己だけであることを、真田は知っている。それだけで十分だった。

「ただいま」
 言いながら、柚香の隣に並んだ。
「何を見ていたんだ?」
 窓の外には星しかないのを承知で、聞いた。
「星って大気がないと瞬かないんだな、と思って」
「ああ。星が瞬くのは大気の揺らぎによるものだからな」
「ほら、地下都市でも空はなかったでしょう? だから、ここで生活していてもあんまり違和感は感じないんだけどね。こうして宙(そら)を見上げると、ここは地球じゃないんだな、って思えてね」
 柚香はまた宙へと目を転じた。
「キミは地球を離れたのは初めてだったんだな」
「今時珍しいでしょ?」
 くすりと笑った。

 ガミラスからの攻撃を受けるまで、宇宙への旅や居住は珍しいことではなかった。仕事や旅行で誰もが気軽に月や火星へと出かけ、滞在していた。
 柚香のように宇宙に出たことがほとんどないというのは珍しかった。
 だから当初、真田はそのことも懸念していたのだ。育児ノイローゼにホームシックが加われば目も当てられない。少人数で赴任することは予めわかっていたことなので、その中で十分なフォローができるとも思えなかったのだ。
 だが、柚香がホームシックになるようなことはなかった。おおらかなのか、いい加減なのか、どちらにしろ順応力は高いらしく、限られた空間での限られた人間との接触の中においても、小さな発見を喜びに変えていけるらしい。猛烈な成長を遂げるサーシャの子育てに於いてもそれは同様で、柚香の案外な逞しさに真田は感心していた。
 だからこそ、ついうっかりと辛い記憶のことを失念していたのかもしれない。

 今も、この暗闇に何を見ているのだろうかと、気に掛かった。
 真田の辛苦が柚香に想像できないように、柚香のそれも真田に推しはかる術はない。
 同じ場所に立ち、同じ景色を見ていても、その胸中たるや隔たること著しく、全く異なるものなのだと改めて気付く。
 ましてや、柚香は後悔しているのではないかと考え出してしまうと、否定する材料が見つからず、漣のように心が揺れた。
 そんな真田の心の裡を柚香が知るよしもない。
「貴方はいろんなものを見てきたのね」
 ようやく恋人に視線を向けた。

 いつもと変わらないその笑顔が、真田の胸を締め付ける。
「柚香」
 名を呼ばれて、小首を傾げる仕草が愛しくて、ぐいと抱き寄せる。その柔らかさと温かさを間近に感じると、波立つ気持ちが安らいだ。
「どうしたの? 今夜の貴方はヘンよ?」
 気遣わなければならないのは一体どちらだと思う我が身が情けなく。だが、一度抱いてしまった疑念を簡単に払拭することはできなかった。
 俺はこんな奴だったろうか? しっかりしろ、俺はヤマトの真田志郎だ!
 そう叱咤激励してみるが、不安は増す一方で、気付けば恋人の華奢な肢体がしなるほどにキツく抱きしめていた。
 このまま、キミの中から俺以外の男を閉め出してしまいたい、とそんなことまで思った。
 バカなことを考えている、と冷静に思う一方で、その欲求は秒刻みで膨らんでいった。

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