この丘のむこうに
TO YAMATO

#序章 −01

 「バカね」
 妻が笑う。
 「バカね、志郎。思う通りにすればいいのよ。貴方の人生は、貴方のものよ?」
 妻はよく真田のことを「バカね」と言って笑った。
 出逢ったときから、逝ってしまうその時まで。

 ――キミだけがそう言った。

 「白いドレスも、誓いの言葉もいらない。揃いの指輪も欲しくない。
 ただ。
 貴方が生きて笑ってくれれば、それでいいわ」

 朴念仁と呼ばれ、職務を最優先させて生きていた。
 キミは笑って、そんな俺の帰る場所を守ってくれた。
 だから。
 キミが笑って暮らせる明日を守ろう、守りたいといつしかそう願った。

 だが。
 そのキミももういない。
 ここにいるのは、この惑星ほしと最後を共にすることを望んだ者ばかりだ。

 この星に“明日”はもうない。
 “明日への希望”はヤマトと共に旅立った。

 できることは全てやった。
 俺の得たものは既に繋いだ。

 技術も。
 知識も。
 志も。
 夢も。

 彼らは受け取り、旅立った。

 伝えるべきことは、全て伝えた。
 この魂のままに。

 真田はスッと背筋を正した。
 ポツリと雨粒が落ちてきた空を見上げる。口許には笑みさえ浮かべ。

 ――沖田艦長。古代が、ヤマトが行きます。

 雲を切り裂いて突き進む艦に、静かに敬礼を捧げた。

 「古代。ヤマトを頼んだぞ」
 満足げな真田の呟きは、激しくなってきた雨音に消された。

アイコン

「『これで肩の荷を降ろせるな』とも見えるね」
「――確かに、ね。『打てる手は全て尽くした。後は全てを古代に任せる。地球と最後をともにできるなら、俺は本望だ』みたいな?」

 唐突な声に驚き、だが、聞き慣れたそれに小さな笑みを浮かべ、真田は振り返った。  30年を共に過ごした友がふたり、そこにいた。
しん藍澤あいざわ。お前たち――」

 名を呼ばれたふたりがひらひらと手を振って応える。
「――何て事、志郎が考えるわけないよね」
 肩を竦めながら、男が笑う。出逢った時の人懐こい笑顔のままに。
「このあたしたちをどうやって誤魔化そうっていうのかしら」
 黒目がちの大きな瞳で見上げる人形のような姿は、18の時からさほど変わらない。
 ふたりが、真田を見つめる。

 フッと、笑いが浮かんだ。
 言い訳は何もいらないのだろう。誤魔化す必要もない。
 島次郎にさえ明かさなかった言葉を、真田は口に上らせる。
「まだ、何ができるのかわからない。可能性は限りなく低い。だが、ゼロではない。
 武器は、俺自身――いや。俺たち、そのもの。それだけだ」
 ふたりが共に、グッと顔を引き締め、そして、にやりとした。
「「了解、チーフ!」」

 行くぞ、と真田が目を走らせる。
 ふたりがそれに続く。

 戦いは、まだ、終わってはいない。
 俺たちの戦いは、これからだ。
 あのブラックホールの向こうには何があるのか。
 どんな世界であろうと。
 たとえ、何が待ち受けていようとも。
 決して諦めない。
 運命に身を任せたりはしない。
 この命、ある限り――!

 英雄の丘に、3人の姿は消えた。
 この星の明日を守るために――。

fin.
20 DEC 2010 ポトス拝
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