渡  河
** On the Star Festival **

「しっかりした子だ。――幸せなんだな?」
 真田が問えば。
「えぇ、とてもね。貴方たちのお陰よ」
 そう微笑んで見上げた顔は、昔よりもずっと逞しい笑顔で。
 真田は何だか嬉しくて、そっと笑みを浮かべた。

「主人が生化学を専門にしているの」
 女は真田の目を見つめたまま、話し始めた。
「戦いの嫌いな人でね。『僕は絶対に戦いには加担しない』ってずっと言っていたんだけど。5年前、“不沈艦”と言われたヤマトが空に沈んだでしょう?」
 ぐ、と真田は奥歯を噛み締めた。

 自沈のために波動砲を反転させた、あの作業が、最後のスイッチをONに切り換え“作業完了”と告げた己れの声が甦る。
 古代とユキ。
 そして、沖田艦長の顔が浮かぶ。

 空の向こうがキラリと光ったような気がした。
 月と地球の重力場――その氷の海にあの艦は眠っている。

 一瞬にして表情の消えた真田をじっとみつめたまま、女はしばらくの後に言葉を紡ぎ始めた。
「『ヤマトは最期まで戦いきった。自分だけそこから逃げているわけにはいかない』って突然言い出してね。今でも戦いたいわけじゃないのよ。でも、自分の手で守らなければならないものもあるから、ね」

 ふと、真田は思い至る。
「もしや、君のご主人は如月博士か?」 
 在野ではその名の知られた学者だったが、その戦嫌い、軍嫌いもまた有名で。
 だが、その彼が軍の地球再生プロジェクトに急に参加を表明し、滞っていた難問がいくつか解決に向け動き出したのは、つい最近のことである。
 そうか、彼を動かしたものはヤマトだったのか。
――真田は改めて、その重さを噛み締める。
 それに乗った者にとっても、そうでなかった者にとっても、決して(ないがし)ろにはできない重さを。

 女は正面から真田をみつめる。
「貴方の手が、ヤマトを設計し組み立て、そして戦い、地球を守ってきたんだわ。いつかは、非道いことを言ってごめんなさい」
 深々と頭を下げた女の前に、また、深く微笑む真田がいた。
 顔を上げた女も、また、微笑む。
「貴方には守りたい人はいるの?」
 何気なく尋ねて。
 あ、長官のプライベートは秘密だったわね、と呟いた。

 軍の真田に近い人間は知っていることではあったが、一般には真田は自分の私生活を公開しなかった。
 独身なのか、既婚なのかもわからない。黙っていれば生活感などほとんど感じさせないためか、今まであまり騒がれることもなかった。
 だが、真田は自分の左手を前にすると。
「妻が指輪はいらない、と言うのでね」と優しく笑んだ。

「さようなら。お元気で」
 女が差し出した右手を、真田は握り返した。
「君も」
 女は踵を返すと、振り返ることなく歩み去っていった。

 梅雨明け前の湿気をたっぷりと含んだ風が、夏の気配を漂わせながら駆け抜けていく。
 その姿が見えなくなると、真田は空を見上げた。

 なあ、古代。
 既に逝ってしまった友に語りかける。

 お前は誰かを愛するのも、銃を持つのも。そして、兵器を開発し、作り上げるのも全て俺の手だと言った。
 そして、俺自身はそれを使わないことが俺の矜持だ、と。
 確かに、全て俺の手がしてきたことだ。
 ヤマトを造り、波動エンジンを組み立て、波動砲を造り上げ、数多の異星の科学技術を取り込み。地球を守るために、生き延びるために、敵を薙ぎ倒し続けた。
 だが。
 俺は一度たりとも、あの艦(ヤマト)のトリガーに手を掛けることはなかった。

 古代。近頃、俺は思うよ。
 本当にそれが俺の矜持だろうか、と。
 現場に出ることも少なくなった今だからこそ。
 あれは、俺の逃げじゃないのか?
 全てを丸呑みすることのできない弱い俺の自己弁護──詭弁ではないのか。
 俺は──!!

 きらり、と空が光った。
 太陽の下を、艦載機が横切る。
 不意にスペースイーグルと異名をとった友の笑い声が聞こえた。真夏の青空のような明るい声が。

 ――お前。相変わらずだなぁ。
 何でもひとりで背負い込むのは止めろ、って何度も言ったろう?  人間、弱さも持っていなくちゃ、人生つまらないものさ。
 さあ、そんなことはうっちゃって置いて、とりあえず飲みにいこうぜ?

 真田は、ぐいと奥歯を噛み締め、空を仰ぐ。
 艦載機の姿は既にない。

 古代!
 俺は――。

 

「おい、いつまでそうやってぼぉっとしてりゃ気が済むんだ?」
 掛けられた声に、驚いた。
 またコイツか。
 気配を消すのが本当に得意なヤツだ、と苦々しげに振り返った。
「飯だ」
 手提げ袋を目の前に掲げて立っているのは、幕之内勉。
 訓練学校の同期であり、同じ戦いを戦い抜き、そして生き残った男。
 高い戦闘能力を持ちながら、己れの戦いを飯を作り続けることに凝縮させている。
 そして、妻の良き理解者でもある。
「握り飯は柚香が作ったモンだからな。ああ、アイツも一緒だ」
 そう言って後ろを振り返った。
「もうっ! ちょっとくらい待っていてくれたっていいじゃないのっ。幕さんのいじわるっ」
 柚香が子どものように頬を膨らませて駆けて来る。
 指輪のないその左手には更に袋がもう一つ。
「藤咲さんが、ちゃんと食べてきてください、って」
 小首を傾げると、零れるように微笑んだ。

 だから、言ったろう?
 古代の明るい笑い声が聞こえたような気がして、真田はくっと笑いを含んだ。

 ああ、古代。わかっているさ。
 だが、時には振り返ることも必要だろう?
 間違えることの許されない道だから、な。
 見ていろよ。鷺の架け橋ができる前に、俺はこの手で橋を作ってみせる。

「志郎、支度ができたわよ」
 小さなテーブルに昼飯が並べられている。
 妻の握り飯は、今でも変わらずに旨い。さあ、飯だ。

 真田は、もう一度だけ青空を振り仰ぐ。

 青空には飛行機雲が一本。
 さっきは気付かなかったが、白い軌跡が残されていた。

 7月7日。
 今夜の天気予報は晴れ。
 一年間ふたつ星を隔てた天の川は、今日も夜空に美しく輝くことだろう。

fin.
31 JUL 2009 ポトス拝
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