渡 河** On the Star Festival **
「あれから、一年が経つのね」
おにぎりを頬張りながら、柚香が言えば。
「そうだな。ちょうど一年だ」
真田が答える。
屋上にある、ただ四角いばかりの剥き出しのコンクリートのベンチに、ふたり並んで腰を下ろした。
「友人と一緒に食べるはずだったんだけど、予定が変わっちゃって」
柚香が言うには、その友人がおかず担当、彼女はおにぎり担当だったということで、手許にはふたり分のおにぎりとお茶があった。
「この握り飯は旨いな」
真田が顔を綻ばせると。
「うっふっふ。料理長のお墨付きですから」
柚香はVサインを作ってみせた。
ちなみに、柚香とは高校以来の付き合いであるこの“料理長”が、真田とは訓練学校からの友人・幕之内勉を指すことは、互いにまだ知らない。
「第一階層はもうダメね」
「ああ。あの区域が最後だったからな」
「身体。大丈夫なの?」
「もちろん、この通りだ」
真田はにやりと笑い、にゅっと自分の腕を柚香の目の前に突き出すと袖を捲り上げてみせた。
一見、何の変哲もない普通の腕が、いや、軍人として鍛えられた腕がそこにはあった。
だが、それが義肢であることを柚香は知っている。
驚いたように目を
あの時はありがとう、と礼を言った。
一年前。
ある研究施設の資料館にふたりはいた。
それぞれの目的のために。
遊星爆弾による攻撃は、地下へと逃れた人々の生活をも、次第に追いつめつつあった。放射能は、抉られ原型を留めなくなった地上から地下へと、その魔の手を伸ばしてきたのだ。
地下都市の中でも初期に造られた第一階層部は表層に最も近く、既にそのほとんどで放射能の許容限界値は限界を越えてしまっており、立入禁止区域となっていた。
加えて、崩落の危険もはらんでいた。
その施設は第一階層のはずれにある、立ち入ることのできた最後の区域にあった。
だが、ふたりがそこを訪れている最中に崩落事故が起きてしまった。
共にそれに巻き込まれたものの何とか脱出することはできたが、その時に、真田が自らの腕を犠牲にして守った相手が柚香だった。
それは、彼女を特別に思ってのことではない。軍人として“守り戦うこと”をその身にたたき込まれている真田の、無意識のそして当然の行動であったに過ぎない。
救助隊に助けられ搬送された病院はそれぞれが別であったがため、別れ際に交わした“またね”の言葉だけを残し、今日に至っている。
事故後、柚香がその行方を探さなかった訳ではないが、真田がそこにいた理由が軍務であったため、その情報の一切が秘されてしまい、それ以上はどうにもできなかったのであった。
そして、そうした時の軍人の口の堅さは身に染みて知っていたので、幕之内に尋ねることもなかった。
したがって、真田が月での事故で姉と四肢を失ったこと、柚香が遊星爆弾で家族を失ったこと。
互いについて持ち得る情報は、それくらいのものであったが。
それでも一時とはいえ、生と死の狭間を共に潜り抜けた過去は、再会の瞬間から、ふたりをその時に引き戻した。
未だ、互いのフルネームさえも知らないままに。
「彼女、追いかけた方が良かったんじゃないの?」
さり気なく口にしてみる。
「もういいんだ」
返事が返った。
「時間を置くと、こじれるわよ?」
再び言葉を返せば。
「――彼女の言うことももっともでな」
真田はお茶をごくんと飲み干した。
ん――? と柚香が首を傾げる。
「仕事の方が大事だってこと?」
いや、と一度は首を振るが、それも間違っちゃいないか、と自嘲気味に笑った。
「キミも知っての通り、俺の手は機械だからな。触れられるのが嫌だというのは、わからなくはないさ」
天才などど呼ばれようと、俺は自身で誰かに触れることさえできない。
真田はくくっと喉の奥で笑いを殺した。
「お茶、もう一杯いかが?」
勧められるままに、カップを差し出した。
ほのかな湯気と共に、香ばしい麦の香りが漂った。
「これからどうなってゆくのかしら」
それに真田は答えず、手にしたおにぎりをもう一つ口に運んだ。
「敵が気まぐれに攻撃を止めてくれるとか? 強力な兵器が造られるとか? この星を見捨てるとか? スーパーマンが手を差し伸べてくれるとか?」
少なくない時間が流れるが。
「あまり考えられなさそうなことばかりだわね。いずれにしても、先行きは厳しいってことよね」
沈黙を破ったのは柚香だった。
「まぁ、“その時”が来れば受け入れるしかないんだけど」
ごちそうさま、と手を合わせた柚香が立ち上がった。
数歩足を進め、屋上の柵に手を掛けると空を仰いだ。
鉛色の天井に映し出された空は、それでも青く。人工の街を包み込むように広がっていた。
「ねぇ、軍人さん?」
柚香は真田に背を向けたままで。
「あなたは、銃を構えて撃つのでしょう? その手もやはり自分のものではないと言うの? 機械が機械を操作しているだけなの?」
ぐ、と息を呑んだのが伝わったろうか。
目の前にある真っ直ぐな黒髪を風が揺らすと、微かにオレンジの香りがした。思わず、その髪に触れようと伸ばし掛けた手を、だがぎゅっと握りしめた。
ゆっくりと立ち上がると、彼女の隣りに並んだ。
互いに正面を向いたまま。
時が言葉を運んだ。
「銃を握る手も、それを造る手も、どちらも俺のものだ」
真田が静かに、だがはっきりとそう答えると。
柔らかく微笑んだ柚香が、真田を見上げた。
真っ直ぐに空を見つめる瞳が、とてもきれいだと思う。
「それなら、彼女に触れる手だけが機械だというのは、傲慢じゃない? 私を助けてくれた手は温かかったわ」
その言葉に、真田は少し照れたように微笑み、そうか、と小さく呟いた。