「全くもう。一体、何てマヌケなのかしら!」
そのすらりと背の高い体で威嚇するかのように、両手を腰にあて、口角泡を飛ばしながら 憤慨しているのは柚香だ。
白い壁に囲まれた狭い病室には、ベッドがひとつ。ムッと口を尖らせた柚香に 見下ろされるようにベッドに横になっているのは、幕之内 勉。地球防衛軍の主計官にして、幾度もの大戦を戦い、 生き抜いた歴戦の戦士。どんな戦場に置いても絶えることなく食事を作り続け、 兵士たちを勇気づけた百戦錬磨の“鬼の料理長”の異名をとる男も、この古い友人にかかればひと溜まりもなかった。
「どーして、料理長が資材倉庫で、資材の下敷きにならなきゃいけないのかしら? 私にもわかるように、説明していただけるんでしょうね?」
(年々コイツは喧しくなるな。まるで彩季子 おばちゃんのようだぜ)
と眉を顰めれば、それを見咎められ、頬を捻りあげられた。
「まーくーさーーーん!?」
「い、いてぇだろうがっ」
「当たり前よっ。痛くなきゃお仕置きにならないでしょっ!」
ぶははははは。
突然の笑い声がして、驚いて振り向いたふたりの目に映ったのは、ここ、地球防衛軍中央病院の医師、佐渡酒造である。
「若いモンに恐れられる鬼の料理長も、柚香くんにかかっては形無しじゃの」
可笑しそうに笑いながら、ベッドサイドに近づき、どれどれ、ワシに診せてみぃ、とご機嫌で聴診器を取り出した。
“資材倉庫で鉄鋼の荷崩れがあり、若い下士官と幕之内がその被害にあった。”
と、言われているが、それは事実ではない。軍内部において暗躍していた二重スパイの正体を突き止め、 一網打尽にするためのスパイ狩りのミッションが行われたのだ。幕之内はそのチームの一員に選ばれており、 最終決戦時に負傷、というのが事の真相。
少々の打撲と肋骨の骨折で済んだのは、不幸中の幸いであった。
だが、それは決して表沙汰にされはしない。“間抜けな料理長と年若い下士官の事故” それが幕之内の役回りなのだ。そう、この男が“鬼の料理長”と呼ばれるのは、 戦場に置いてのみ、なのである。
「ふむ。大丈夫じゃな。肋骨が4,5本折れとるが、まぁ、お前さんなら、どうってことはないじゃろ。 これ以上痛めんように、ゆっくり休むことじゃな」
ふぉふぉふぉふぉ、と奇妙な笑い声をあげながら、去って行く佐渡に、柚香はありがとうございました、 と頭を下げた。
もう、と大袈裟に溜め息をつきながら、柚香は椅子を引き寄せる。
柚香とてわかってはいるのだ。幕之内とは、もう長い付き合いになる。主計官のくせに、 武術大会に出場しては何度も優勝をさらっている男だ。幾度もの戦場を くぐり抜けてきたこの男がそんな間抜けなことをするわけがない。そして、軍人には言えない事情もあるのだ、と。 全てを知りたいと願ったら、軍人とは付き合ってなどいられない。
柚香は、決して神経質な性質ではなかった。希望と諦めの両方を適度に 持ちつついられるのは、やはり大きな戦いを幾度も経てきた者が持つ生き抜くための知恵なのかもしれなかったが。
だが。だからといって心配が無くなるわけではない。そのどうにもしようのない怒りをこうして 幕之内にぶつけているだけ、というのは、互いにわかった上でのやりとりであった。
「痛みはないの?」ちょっと優しい言葉もかけてみる。
「あぁ。動かなければ何てことはないさ。薬も効いているしな」
幕之内も、こういうことで柚香に嘘はつかない。それがかえって心配させることを知っているから。
「そう。それなら、少し眠ったら? 疲れているんでしょう?」
骨折が熱を呼び、気怠いのは確かだった。柚香に氷水で絞ったタオルを額にのせてもらうと、 ひんやりと気持ち良かった。窓から入ってきた初夏の風が、ベッドサイドを通り抜ける。 ふわりと香るオレンジの匂いが眠りを誘った。
「おやすみなさい」
柚香の声が、遠くに聞こえた。