「――!!」
何やら言い争う声が聞こえ、柚香はあふと小さく欠伸をかんだ。
正体不明の敵からの攻撃により人類は地上を追われ、地下都市での生活を余儀なくされていた。 青い空は目に映るが、それが鉛色の天井に映し出されたまやかしであることは誰もが知っている。 風も、雨も、全てが計算され整えられた世界。それが現在の地下都市だ。だが、地上への攻撃は 未だ止む気配はなく、放射能は地下へと逃れた人類にじわりと忍び寄りつつあり、“計算された世界” は少しずつ崩壊への兆しを示し始めていた。
“屋上”へ出ては見ても、そこに生命の息吹が感じられるわけではなかったけれど、それでも、 そこはやはり柚香のお気に入りの場所だった。まやかしであっても、“青い空”を見つめいていると、 尖った気持ちが凪いで行く気がして。だから、昼休みともなれば、お弁当を持ってそこで食事を摂るのが 彼女の常であった。今日は少しばかり仕事が押し、遅めの昼食を摂ろうとして、だがうとうとしていたところ。 女性にしては低い、けれど険のある声で目が覚めた。
「仕事、仕事、仕事! いつ聞いても仕事!! 一体、私のことを何だと思っているの!?」
すらりとした女のきれいな後ろ姿が視界に入る。長めの栗色の髪がきれいなウエーブを描き ほっそりとした背中で揺れている。言葉を投げつけられた男は、女よりも頭ひとつ分大きい。 見覚えのある顔に、柚香はおやと思う。
ふたりともモスグリーンの上着にその身を包んでおり、つまりは防衛軍勤務であることを示している。 ここは官公庁の施設が集められた区域であり、防衛軍の施設も一部含まれているので、特に珍しいことではない。
「貴方がこの前研究室に顔を出したのが、一体いつだったか覚えていて!? 部屋へも帰ってこない、電話にもでない。本当に生きているのか、もしや怪我をしているんじゃないのか、 私がどれだけ心配したかわかっているの!?」
女の声は熱を帯びる。だが。男は伏し目がちに視線を逸らす。女の視線から逃れるように。 「済まない」と呟いた言葉は、女に届いただろうか。その様子に、熱するかに見えた女は、 ふっと息をもらすと自分も目を伏せ、口許だけで笑った。
「牽牛と織女よりも、たちが悪いわね。ねぇ。今日が七夕だってこと、知ってる?」
男は身じろぎもしない。名を、真田志郎という。
「私だって軍に身を置いているのよ? 貴方の立場も、現在の状況もわからないわけじゃないわ。 でも、私が言っているのはそういうことじゃない。貴方にとって何よりも大切なのは仕事なのよ。 私より、機械の方が大事なんでしょう?」
口許を歪ませ泣きそうな顔をして、真田を見上げるが。ふっと真田の吐き出した息に、唇を噛んだ。
真田は小さく首を振り、そうじゃないんだ、と女の肩に手を置こうとしたが。女はすっとそれをかわし、 触れられることを拒んだ。
「その手で、私に触らないで!! 機械なんてきらいよ!」
女は自分の言葉にはっとし、真田の見開かれた目を見つめたが。行き場を失った真田の手が、 静かに戻っていくのをみつめ、もう一度、きつく唇を噛んだ。
そして。
「さようなら」の言葉だけを残し、踵を返して走り去った女を、真田は追いかけなかった。 手を固く握りしめ、瞼を閉じ、眉間にしわを刻み。
やがて、諦めの息を小さく吐き出し、握りしめた手からゆっくりと力を抜くと、顔を上げた。
「こんな処で済まなかった。もう、出てきてもらってもかまわないぞ」
他人の気配に気付かないような真田ではない。屋上の柱の影に向かって声を掛けた。 だが、その声に応えるように現れた人間を見て、少しばかり驚いた。
「――キミだったのか」
軽く目を瞠った真田が、苦笑する。
「とんだ再会だな」
えぇ、と応える柚香は手に持った紙袋を持ち上げ。
「おにぎりしかないけど――一緒にいかが?」
と、首を傾げた。