あ。
今日も白衣を着ていらっしゃる。
きっと、さっきまで研究室にいらしたのね。先輩、入学したときから研究室をお持ちだったそうだもの。
「ほら、行っておいでよ」
トン、と梨佳に背中を押された。
「え、ちょ、ちょっと待ってよ」
急にドキドキしちゃって。
「なあに? 今更怖気づいちゃってるわけ? だらしないぞ、菜摘!」
「だ、だって…!」
そりゃ今まで真田先輩が参加される講義や行事にはことごとく参加してきたけど。でもね、親しくお話したことなんて一度もないよ? 私は先輩のお誕生日も、身長も、体重もそりゃ知ってるけど、でも、でも。先輩は私のことなんて、きっと知らない。
名前なんて、もちろん。顔だって。きっと、存在さえも知らないもの。
そ、それでどうやってチョコを渡すの?
チョコを渡してどうなるっていうの?
成績だって、実技だって中途半端な私なんて、相手になんかしてもらえない…!
わ、私なんて…
なんだか急に怖気づいた。
黙っていたって、見続けることはできる。
でも、告げてしまって無視されたらどうしよう?
軽蔑されたら、どうしよう?
「や、やっぱり…」
私は、一歩後ずさった。
「菜摘!」
「だ、だって…!」
そのまま、回れ右して帰るつもりだった。
「ごめん。そこ、通してもらえるかしら?」
び、びっくりした。
振り返ると、戦闘科一の美女といわれる
そそくさと私と梨佳は端へ退いた。
「ありがとう」
うう。きびきびとした態度も、さっぱりした性格も、あの綺麗な顔も一級品だわ。――あれくらい美人で優秀だったら、あたしだって、こんなとこで躊躇したりしないのに――!
「ええ、ちょっと、美弥が行ったわよ!」
「うそ。彼女、古代先輩には興味ないんじゃなかったの!?」
「いやだぁ。美弥の後じゃ引き立て役にしかならないじゃない!」
みんな口々に言うのももっともだわ。美弥の後じゃ、あたしだって。
美弥は躊躇したりせずに、まっすぐに古代先輩の方へ歩いていく。
あ、真田先輩が気づいた。
う、うわ。いいな、美弥。真田先輩が笑ってる。
(こいつ、起こそうか?)
そうジェスチャーで伝えてるのがわかる。
み、美弥〜〜〜! その役、あたしにやらせて!!
美弥がにっこりと笑って首を振った。
「私、貴方が好きです。真田先輩」
う、うううううう、うっそおおおおおおおお!
「お、俺?」
ほら、真田先輩だってびっくりしちゃってるよ。
ああっ、あんな顔、初めて見た!
「はい。真田先輩が好きです。ですから、これ受け取ってください」
美弥は持っていた小箱を差し出した。
あ、あれって、手に入れるのがめちゃめちゃ難しいチョコ。うそ、あれどうやって手に入れたの!? あたしだって狙ってたけど、とうとう手に入らなくて諦めたのにっ。
「真田先輩」
美弥はまっすぐに先輩を見詰めてる。
「すぐに返事が欲しいわけじゃありません。答えはわかってますから。だって、先輩、私のことご存じないでしょう?」
美弥は少しも怯まない。
「私は戦闘科1年の高取美弥といいます。夏季特別訓練の時から、ずっと先輩に憧れていました。これからでいいんです。私のこと、覚えてください。お願いします――!」
頭を下げた美弥を、真田先輩は驚いた顔で見ていたけれど、フッと笑って、おもむろにチョコを受け取った。
「何かの間違いのような気はするが、本当に俺なんかでいいのか?」
パッと美弥の顔が輝いた。
「ありがとうございます!」
「礼を言うのはこちらだと思うが」
真田先輩はそう言うと、また笑って、ありがとう、と言った。
「先輩、私、真田先輩の研究のお役には立てませんけど、でも、一生懸命訓練しますから! 先輩のことは、私がお守りしますっ!」
美弥はそう言うと一礼し、来たときと同じように颯爽と図書室の扉をくぐり。
そして。
ぺたん、と廊下に座り込んだ。全身の力が抜けたみたいに。
「美弥!」
女子たちが美弥を取り囲む。
美弥は、今まで見たことのない、泣きそうな顔をしていた。
「い、言えた…良かった…」
呆けたようにそう言う美弥は、とても綺麗だと、そう思った。
「あたし…」
心配顔の梨佳と目が合った。
私は。
踵を返した。
その日。
図書室の扉を、私はくぐらなかった。