雲の行方
窓から青い空が見えた。
風が白い雲を運んでいる。
艦長服に身を包み、ユキは出発の時を待っていた。
机上に、白い制帽があった。
艦長だけが被ることを許されたそれは、軍艦乗りの夫を持つユキにとって見慣れたものだ。
手を伸ばし、静かに持ち上げる。
内側には名が記されていた。
古代 雪。
そこに金糸で縫い取りがされている名は、夫のものではなかった。
ユキは白く細い指で、そっとそれをなぞった。
私に任を果たすことができるだろうか。
幾度となく繰り返しては、ケリを付けたはずの想いがまた胸にこみ上げてくる。
如何に軍務に長く携わっていようとも、今度ばかりは不安が勝った。
だが、それを放棄することなど考えられなかった。
机上にはまた、愛する夫と娘の3人で撮った写真が飾られている。
「あなた…」
声に出して呼んでみた。
「なんだい。ユキ?」
はにかむような夫の笑顔が浮かび、ユキは微笑を浮かべた。
どんなに長く離れていても、忘れないわ。
あなたの声も。
あなたの胸のあたたかさも。
きらりと窓の外が光り、ユキは視線をやった。
宙港にところ狭しと並んだ艦が、順に離陸してゆく。
今日、第一次移民船団は3億の人類を乗せ、アマールへと出航する。
この艦も、間もなく出航の時を迎える。
窓に夫の面影が浮かんだ。
私はずっとあなたを見てきた。
18歳の時からずっと。
あなたの背中を見つめていたわ。
でもね、私、気が付いたのよ。
私が見ていたのは、あなたの背中じゃなかった。
その後ろ姿を通して、あなたの瞳に映るものを見てきたの。
私は、あなたの見ているものを一緒に見てきたんだわ。
だから。
たとえどんなに遠く離れていても、私たちは同じものを見ることができる。
そうよね?
――あなたなら、私の選んだ途をわかってくれるでしょう?
古代 雪。
そう呼ばれるようになってもう長いけれど、“ヤマトの森ユキ”は健在よ。
そう呼ぶ人がいる限り、ね。
だって。
私だって、ヤマトの仲間ですもの。
あなたが、みんなが守ってきたものを、私も守ってみせるわ。
机上の通信機の光が、ユキを呼んだ。
「古代団長。出航準備が整いました」
副長の声が、時が来たことを告げた。
「わかりました」
立ち上がり、制帽を被った。
再び、窓の外に目をやる。
風に流された雲は姿を消し。ただ、青い空がどこまでも広がっていた。
艦橋へと続くエレベータへ乗り込む前に、ユキはつと振り返った。
美雪、ごめんね。
小さく呟いた後、夫を正面から見据えた。
古代くん。
行ってきます。
踵を返し。扉の向こうへと踏み出した。
2220年。
未曾有の危機を迎えた地球を救うため、艦は永い眠りから目覚めた。
そしてまた。
新しい物語がここから始まる。
05 AUG 2010 ポトス拝