雲の行方

#2

 窓から青い空が見えた。
 風が白い雲を運んでいる。

 艦長服に身を包み、ユキは出発の時を待っていた。

 机上に、白い制帽があった。
 艦長だけが被ることを許されたそれは、軍艦乗りの夫を持つユキにとって見慣れたものだ。

 手を伸ばし、静かに持ち上げる。
 内側には名が記されていた。

 古代 雪。

 そこに金糸で縫い取りがされている名は、夫のものではなかった。
 ユキは白く細い指で、そっとそれをなぞった。

 私に任を果たすことができるだろうか。

 幾度となく繰り返しては、ケリを付けたはずの想いがまた胸にこみ上げてくる。
 如何に軍務に長く携わっていようとも、今度ばかりは不安が勝った。
 だが、それを放棄することなど考えられなかった。

 机上にはまた、愛する夫と娘の3人で撮った写真が飾られている。

「あなた…」
 声に出して呼んでみた。
「なんだい。ユキ?」
 はにかむような夫の笑顔が浮かび、ユキは微笑を浮かべた。

 どんなに長く離れていても、忘れないわ。
 あなたの声も。
 あなたの胸のあたたかさも。

 きらりと窓の外が光り、ユキは視線をやった。
 宙港にところ狭しと並んだ艦が、順に離陸してゆく。
 今日、第一次移民船団は3億の人類を乗せ、アマールへと出航する。
 この艦も、間もなく出航の時を迎える。

 窓に夫の面影が浮かんだ。

 私はずっとあなたを見てきた。
 18歳の時からずっと。
 あなたの背中を見つめていたわ。
 でもね、私、気が付いたのよ。
 私が見ていたのは、あなたの背中じゃなかった。
 その後ろ姿を通して、あなたの瞳に映るものを見てきたの。
 私は、あなたの見ているものを一緒に見てきたんだわ。
 だから。
 たとえどんなに遠く離れていても、私たちは同じものを見ることができる。
 そうよね?

 ――あなたなら、私の選んだ途をわかってくれるでしょう?

 古代 雪。

 そう呼ばれるようになってもう長いけれど、“ヤマトの森ユキ”は健在よ。
 そう呼ぶ人がいる限り、ね。

 だって。
 私だって、ヤマトの仲間ですもの。
 あなたが、みんなが守ってきたものを、私も守ってみせるわ。

 机上の通信機の光が、ユキを呼んだ。
「古代団長。出航準備が整いました」
 副長の声が、時が来たことを告げた。
「わかりました」
 立ち上がり、制帽を被った。

 再び、窓の外に目をやる。
 風に流された雲は姿を消し。ただ、青い空がどこまでも広がっていた。

 艦橋へと続くエレベータへ乗り込む前に、ユキはつと振り返った。

 美雪、ごめんね。
 小さく呟いた後、夫を正面から見据えた。

 古代くん。
 行ってきます。

 踵を返し。扉の向こうへと踏み出した。

 2220年。
 未曾有の危機を迎えた地球を救うため、艦は永い眠りから目覚めた。
 そしてまた。
 新しい物語がここから始まる。

fin.
05 AUG 2010 ポトス拝
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