群  青
** welcome home our chief **

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 彼は、逃げなかった。

 絶望に溺れることもなく、だが、人々の期待に応える術も持たずに。
 どれ程の才能があろうとあの科学力に抗う術がないことは、誰よりも彼自身が一番知っていたはずだ。
 それでも。
 その才能故に、決して第一線に出してはもらえないあの砂を噛むような悔しさの中にあっても、後方で、それも踏み潰されるような思いで戦備を整える虚しさの中にあっても、彼は決して投げ出さなかった。そして、それに比例するように人々の期待は膨らみ、それに応えられない絶望が更に膨れていったはずだったのに。
 それでも、彼はただひたすらに艦を修理し、武器を開発し、戦い続けてきた。

 俺は、その底知れないエネルギーに圧倒された。
 人生を楽しんでいるとは思えない彼が、一体どうやって生きる希望を見つけているのか。

 そして、また、俺は彼の四肢が義肢であることを知る。
 彼は事故で姉を失い、屈服させるべき相手として科学に立ち向かったというが、今、人類はそれを遙かに上回る科学力の為に全滅の危機に瀕している。
 既に両親も亡い、と聞いた。
 あの頃、約束を交わした相手などいなかったはずだ。
 守るべき家族も持たず、愛する女性ひとと結ばれようとするわけでもなく、それでも生きようと足掻き続けるあの強さは、一体どこから生まれて来るのだ!?

 絶望から逃げ出した俺は、だた、それが知りたかった。

 俺も、それが欲しかったのだ。

 何者にも負けない、その強さが。溢れるような希望が。

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 だが彼は何も言わない。
 帰って来ないかもしれない艦を、黙々と整備し続ける。

 そして、俺は見た。
 出航前日の夜。
 彼は人気ひとけのないドッグで、艦を舐めるようにして整備していた。
 満足したのか、工具を床へ下ろしその作られた手で艦体を撫でた。
 そして、呟く。

 還って来いよ、おまえ。
 勝てなくともいい。あいつらを一人残らず連れて帰ってきてくれ。
 もう、これ以上。

 ――そう言って、キツイ目で艦を見上げ――

 もう。
 もう、十分だろう!!

 があん、と鈍く低い音がドッグに響いた。

 俺は愕然とした。
 俺は今まで何を見てきた?
 死にたくなかった。死なせたくなかった。そう思ってきたのは俺一人だとでも言うのか?  俺は、逝った奴らから何を受け取ってきた?

 勝てないのは俺の所為じゃない。俺は精一杯やってきた。仕方がないじゃないか、これだけの力の差があるんだ。勝てないのは、俺の、責任じゃない。
 俺は――!

 彼は知っていたのだ。
 絶望という名の淵を。いや。その絶望の深淵に臨み、薄氷を踏むが如く歩いてきたのは彼の方だったのだ。
 俺では、なかった。

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 あの計画を知ったのはそんな時だった。
 計画の名は「箱舟」。
 全ての罪を背負って、それでも、彼は生きようと足掻いた。

 俺は決意をする。
 生涯、この人に付いていこうと。
 妻やまだ生まれたばかりの息子を想うと、そのことに躊躇いがなかったわけじゃない。だが、それでも迷いはなかった。
 まるで自分を汚れたモノであるかのように忌み続ける彼に、俺は付いていこうと決めたのだ。
 彼を独りにしたくなかった。
 全ての罪を独りで被ろうとしている彼と共にあろうと、俺は決めた。

 あの時、目の前に己れの道がスッと開けたような気がした。

 彼へ繋がる道。
 彼と共に歩む道。

 俺はその道を歩いて行くことを、選んだ。
 だから、俺は今、ここにいるのだ。

 何があろうとも。
 これから何が起ころうとも。
 俺は、ここにいる。

 まさか「箱舟」が「人類を救う希望の艦」になるとは思わなかったがな。

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 もしも。
 もしも、彼が還ってこなかったら――。

 俺は身体を寒気が駆け抜けるのを感じる。
 無理だ、と思う。誰も彼の代わりなどできやしない。
 自分が「真田工場長の右腕」と呼ばれているのは知っているし、その自負もある。
 だが、それは彼がいてこそであり、彼の代わりなどどこにもいないのだ。
 彼がいなくなった時点で、この計画は、この艦は、終わりだ。 

 そう思う傍から、苦い思いがこみ上げてくる。
 彼だって100%の勝算があってこの旅に出たわけじゃない。彼の絶望の深さを、誰よりも知っているのはこの俺ではなかったか。

 だから。
 俺は奥歯を噛み締める。

 彼がいなくなったからといって全てを諦めてしまうことは、それは彼への「裏切り」に他ならない。
 地球を出るときに俺が心に刻んだのは、「必ず帰る」でもなく、「敵を打ち倒す」でもなかった。

 俺は、決して彼を裏切らない――。

 大丈夫だ。
 きっと、彼は生きて還ってくる。俺は、そう信じている。
 だが「絶対」など、どこにもありはしないことも、また真実。

 もしも。
 もしも、その時がきたら。きてしまったら。
 それは、俺が受け継ぐ――。
 たとえ、代わりにはなれなくとも、だ。

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 エレベータの扉が静かに開いた。

 目の前に続くのは、工場へ向かう通路みち
 この先には、班長の帰還を信じて疑わない仲間たちが待っているのだ。
 俺は、俺のすべき役割を果たさなければならない。

 俺は、ヤマト工作班長真田志郎の右腕であり、ヤマト工作班副班長なのだから。

 ひとつ息を吸うと、俺は、一歩を踏み出した。

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