この花を君に

チューリップ
#4

 小屋が完成したのは、1年生の夏休みが始まって3日目。
「先生〜!」
 窓から手を振ると、園長は大欠伸をしながら手を振り返してくれた。

 3人で寝転がると、もういっぱいになってしまいそうな小さな小屋だった。天井から夏の光が射し込んでいる。
「ねえ、あそこきっと雨漏りがするね」
 花歩の指差した先を見ながら、俺たちはくすくすと笑う。
「雨が降ったら、傘をさせばいいじゃん」
 俺が答えると、花歩がうふうふと笑う。
「でも、何か寂しいな、この部屋。飾りでもつける?」
 志郎の提案に目を輝かせたのは花歩だった。
「志郎くんが絵を描いてよ! それを壁に飾ろう!」
 もともと志郎は絵が上手かったが、最近は本当に上手くなった。この間も、学校のコンクールで金賞をとったばかりだ。
「うーん。そんなんでいいの?」
 照れくさそうに笑う。
 ふてぶてしい策士でありながら、志郎にはそんな一面もある。
「じゃあ、俺が枠を作るからさ、花歩はきれいな花を摘んできなよ」
 俺だって、この一年で、いろいろできるようになったんだ。俺は案外手先が器用だった。
「なら、俺が弁当を作ってきてやろう」
 いつのまにかゴリ先生が登ってきていた。

 来週、志郎は家族で月旅行に行くんだそうだ。
 だから、志郎が帰ってきたら、みんなでここに集まろう。
 俺たちはそう約束をした。

 ――だが、その約束は守られなかった。
 志郎は、澪姉さんと、自分の手足を失ってしまった。

 

パール
 

 澪姉さんは、きれいで優しい人だった。
妹しかいない花歩が、私もこんなお姉さんが欲しいと言うと、「あら。花歩ちゃんが志郎のお嫁さんになれば、花歩ちゃんは私の妹よ」と、こっそり囁くような人だった。
 澪姉さんのお葬式に、志郎はいなかった。まだ、病院のベッドから起きあがれないのだという。しっかりと手を繋いだ俺と花歩を、ゴリ園長が抱き上げてくれた。俺たちはお線香もあげられず、ゴリ園長の腕の中で澪姉さんに別れを言った。

 志郎が家に戻ってきたのは、夏が過ぎて秋が終わり、冬の一番寒い頃だった。
 帰ってきたと聞いてすぐに訪ねたが、志郎とは会えなかった。俺たちは、おじいさんに裏山で見つけてきた花を渡して帰ってきた。
 それから、俺が訪ねて行くことはなかった。志郎に拒否されるのは哀しかったし、変わり果てた姿をみたくなかったからだ。――幼かった俺は、怖かったのだ。志郎に起こった事故も、どこまでも続いていると信じていた道がなくなってしまうことも、変わってしまうことも。そして、何よりも死は恐ろしかった。

 花歩は違っていた。
 花歩だって、怖かったはずだ。ゴリ園長の腕の中で俺たちは一緒にふるえていたのだから。
 だが、花歩は毎日志郎を訪ねた。あの冬の裏山で、毎日咲いたばかりの花を見つけては、それを届けた。

 ふたりの間でどんな言葉が交わされたのか、俺は知らない。
 ただ、志郎がまた学校へ出てくるようになったのは、たぶん、花歩がいたからだったんだろうと思う。

 そして、また夏休みがやってきた。
 あの事故から1年が過ぎ、ようやく笑顔を見せるようになった志郎は、今度は母親を亡くしてしまった。もともと体の弱い人で、入退院を繰り返していたのは知っていた。それでも、志郎のために頑張って、頑張って、とうとう逝ってしまったのだ。
 おばさんのお葬式に、志郎は出席していた。花に囲まれ、写真のおばさんは優しそうに笑っていた。澪姉さんはお母さんに似ていたんだと思う。
 志郎は、俺たちに「ありがとう」と言った。
 けれど、夏休みが過ぎた学校に志郎が戻ってくることはなかった。

 志郎は、英才教育で有名な、国の養成機関に転校したのだという。もともと、頭の切れるヤツだった。事故の後の個人授業でその才能を開花させたらしい。

 

パール
 

 俺と花歩は、ふたりであの小屋に行った。
 もう、椅子がなくても最初の枝に手が届くようになった。破れかけた扉を開けると、ゴリ園長が座っていた。俺たちを見ると、黙って手招きをする。
 吸い寄せられるように園長のそばへ行くと、一枚の画用紙を渡してくれた。

 うわあああああ。
 花歩が声を上げて泣いたのを、初めて聞いた。園長にしがみついて、声を上げて泣いた。

 俺と、花歩と、志郎。ゴリ園長まで、おまけに描いてあった。
 優しいパステルで描かれたそれは、一年前よりずっとずっと下手だったけど、俺は今まで見た絵の中で一番好きだと思った。

 それ以来、志郎とは会っていない。

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