この花を君に
俺たちがそれを見つけたのは偶然だった。
いつものように志郎と花歩の三人で園長にいたずらをして、逃げてきたのは保育園の裏庭だった。するとその日に限って庭と裏山の境にある大きな木の下に、椅子が置いてあったんだ。
それを見つけた瞬間、俺と志郎の目が合った。
ずっと登ってみたかったその木は、最初の枝が俺たちには高すぎて手が届かなかったのだ。椅子や机は、ここへ来るまでの段差に邪魔されて運べなかったし、もちろん、大人には禁止されていた。だから、それがそこにあったのは、本当に偶然だった。
迷うことなく、俺たちは椅子に登った。
最初の枝にさえ届けば、後は簡単だ。ぐいぐいと登る。花歩だってそれくらい平気だ。
そして、それは姿を現した。
「ねえ、見て!」
志郎の指差した先には、何と、小屋があった。木の上に、小屋があったんだ――!
顔を見合わせ、頷いた。
「花歩は、まだそっちにいて」
俺たちは慎重に小屋に入った。
小屋といっても、張り出した枝に床板が並べてあり、そこに申し訳程度の柱と壁のようなものがあっただけの、天井はほとんど青い空が見えるようなお粗末なものだった。だが、俺たちにはそれで十分だったんだ。
足を乗せると、ぎしと床が鳴った。
俺たちは、ビクッとして一端は足を引っ込めたが、誘惑には勝てなかった。おそるおそる足を踏み入れた。一歩、二歩、そして三歩。
「花歩! 大丈夫だよ!」
振り向いた俺たちは、でっかいゴリラに捕まってしまったのだった――。
ごいん、とげんこつを喰らった頭をなでながら、木の下で俺たちは蒸しパンを食べた。大きなレーズンの入ったほんのり甘い蒸しパンは、クリームで飾られた豪華なケーキよりも人気が高かった。まさか、ゴリラみたいな園長先生が作っているとは夢にも思わなかったがな。
園長はニコニコしながら、パンを食べる俺たちを見ている。
「ゴリせんせい。これ、とってもおいしい」
花歩の素直な賛辞が嬉しいらしい。
「まあ、確かにおいしいよな。あのリンゴのゼリーよりはさ」
俺の素直じゃない言葉でも、園長は嬉しいらしい。目尻がどんどん下がっていく。
「ね、先生。あれは何なの?」
さっさと食べ終わした志郎が、木の上を見上げた。
「お前らに見つかるとはな――」
園長はわざとらしく、肩を竦めてみせた。
「あれは俺が昔に作ったのさ」
「「「えええーーー! 本当なの!?」」」
志郎のこんなびっくりした顔を見たのは初めてだった。
どうやら、この小屋は園長が若い頃に作って、そのままになっているらしい。話を聞いていた志郎の目が輝いていくのがわかった。
「先生。あそこを修理してもいいでしょう?」
「うーん」
園長が腕を組んで考え込んだ。
葉が茂っているために見つけられなかっただけで、さほど高い処にあるわけじゃない。普段登っている木と変わらないくらいだ。だが、木の上での作業は危険だ。
他の大人になら即座に却下されるような場合でも、園長は一応は考えてくれる。もちろん、結論として許可されない事はあったが、考えもせずに拒否したりはしなかった。だから、子どもたちはみな、園長の判断には文句を言わずに従ったのだ。
今回も、園長は腕を組んで悩んでいる。
「絶対、無茶はしない。大勢でも登らない。この三人だけの秘密にする」
園長はうんと言わない。
「雨の日は登らない。毛虫にも気を付ける」
まだ、うんと言わない。
「――この木に登るときは、園長先生を呼びに行く。先生が良いって言ったときしか登らない」
にっか、と園長が笑った。
よし、それならいいだろう。志郎の譲歩に、園長がGOサインを出した。
そして、俺たちの冒険が始まった。
志郎が完成図を描いた。
皆で材料を集める。
園長には道具の使い方も教わった。ナイフで小枝を落としたり、ノコギリを使ったり、釘を打ったりした。
小さな怪我は日常茶飯事だったが、俺たちは楽しくてしかたがなかった。「今日はここまで」という園長の言葉を、5分だけでも遅らせようとやっきになったりしたものだった。
とはいえ、小屋の修理はなかなか進まなかった。
子ども――園児のやることだから限界があったのも確かだ。だが、今日は風が強いからだめ。今日は会議だ。花歩が風邪をひいているだろう。明日は運動会だ。そんな細々とした事情が邪魔をして、作業は遅々としてはかどらなかった。
「なぁ、俺たちだけで内緒でやっちゃおうぜ」
しびれをきらした俺は、何度か誘ってみたが、志郎は絶対に首を縦には振らなかった。
「あの約束は、破っちゃだめだ」
志郎がうんと言わなければ、花歩もついてこない。ひとりでやったって面白くも何ともない。ちえっと口を尖らしながら、それでも俺は三人が良かったのだ。俺たちは厭きずに修理を続け、そうでない日は森へ出かけ、毎日日が暮れるまで遊び続けた。
そして、修理が終わらないままに、とうとう卒園式の日になってしまった。
「お前たちも卒園か。小学校へ行ったら、いたずらなんぞせんで、ちゃんと勉強するんだぞ。たまには、
園長先生はぼろぼろと泣きながらそう言ったけど、
「何言ってるんだよ、先生。まだ、あれができあがってないじゃないか! 僕たちは絶対諦めないからね!」
志郎が言えば、花歩もついてくる。もちろん、俺も一緒に決まっている。
「じゃあ、せんせい、また明日ね」
「ああ、また明日な!」
ゴリ園長、まさか本当にできあがるまで通ってくるとは思っていなかったに違いない。